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2022年1月9日日曜日

前野徹著 新歴史の真実の紹介.001/3

「史学日本塾」は、私の好きなブログ名ですが、暫くは、「日本の歴史と誇りを知る史学塾」のブログ名で書いて行きます。近現代史の情報発信のプラットフォームとして、活動する予定です。ブログ名だけでは、内容が分からないからですが、最終的には、当初のブログ名とサブタイトルとして考えています。宜しくお願いいたします。

こちらのブログでは、一つの活動として、歴史書を取り上げ、書籍と著者のご紹介と私の解説を書いて行きます。まず最初は、次の書籍です。

2005年3月20日第一刷
書籍の帯には、次のように書かれています。大ベストセラー待望の文庫化 アジアから見た歴史の真説!!抹殺された輝かしき日本史を石原慎太郎氏大絶賛!!第二次世界大戦後、日本を断罪した東京裁判は、国際法学者の間では完全に否定され、違法な裁判であったという見方が定着しています。そして、連合国最高司令官マッカーサー自身も、1950年、トルーマン大統領に対し、「東京裁判は誤りだった」と認めています。日本人は、自分たち自身の歴史を、果たしてどこまで知っているのでしょうか?この本は、世界で初めてアジアから見た世界史観を示したものです。読めば祖国ニッポンへの愛情も100倍に!

著者経歴 前野徹氏
1926年生まれ。日本大学卒業後、読売新聞、東京新聞社を経て、60年東急グループ総帥の五島昇氏に東京急行電鉄の秘書課長としてスカウトされ、五島氏の懐刀として政界、財界、マスコミなどの対外折衝役として活躍する。70年東急エージェンシー常務、専務、副社長を歴任し81年より11年にわたり社長として業界13位から電通、博報堂につぐ3位に躍進させる。95年アジア経済人の大同団結を目指した経済団体、アジア経済人懇話会を設立。現在、同会長ほか高根グループ会長、(社)ニュービジネス協議会顧問などを務める。各分野の勉強会の提唱者として若手起業家から創業経営者まで多くの集まりを主宰する。著書に『他人の良さ、自分の良さの活かし方』(かんき出版)『戦後歴史の真実』(経済界)『目ざめよ、日本』(サンラ出版)『第四の国難』(扶桑社)『日本、崩壊の危機』(到知出版社)『凛の国』(青春出版社)『亡国日本への怒りの直言』(PHP研究所)がある。

私が関心を持った個所を箇条書きして、紹介したいと思います。
1.国内法では戦犯は存在しない。
靖国神社は、1869年(明治2年)明治天皇の思し召しによって、戊辰戦争で斃れた人々を祀るために創建されました。当初、東京招魂社と呼ばれていましたが、1879年(明治12年)に靖国神社と改称されて現在に至っています。後に幕末、国内の戦乱に殉じた志士たちなど広く日本の近代化、護国に殉じた人々を合祀しました。(p323-13行~)
靖国に眠るのは、大東亜戦争(これを第二次世界大戦と改称させた)の戦没者だけではありません。維新の志士を育てた吉田松陰、近代日本の礎となった坂本竜馬、中岡慎太郎、高杉晋作、橋本左内など告示に尽くして倒れた志士たちも志士たちも祀られています。加えて獄中で倒れた志士の妻、従軍看護婦、沖縄で戦没すたひめゆり部隊など5万7千余柱の女性の御祭神。この国をつくり、護った総数246万6千余柱の御祭神が眠っています。(P22-14行)
「戦犯」は言うまでもなく戦争犯罪人です。日本の統治の指導者たちにA級戦犯というレッテルを貼ったのは誰か。連合国による極東軍事裁判(通称東京裁判)です。この東京裁判は後述するように、裁判とは名がついているものの、全くでたらめの戦勝国による復讐劇でした。ですが、当時はGHQ(連合総司令部)の占領下、裁判の判決に異議を申し立てることはもちろん、批判も禁じられており、A級戦犯とされた28人の内7人は汚名を着せられたまま絞首台の露と消え、16人が終身禁固刑、あとの二人も禁固20年と7年の刑に処さられました。
東京裁判で被告人席に座らされた東条英機・元陸軍大将
(1947年12月26日、写真:近現代PL/アフロ)
1952年4月28日、サンフランシスコ講和条約が発効し、日本は独立国に復帰します。この時点で、自由に発言できるようになった私達の先輩は、不当な東京裁判の判決に激しい批判と抗議を行いました。(p19-5行~)・・・・戦犯とされた英霊たちの名誉回復が叫ばれ、戦犯釈放は国民運動として盛り上がり、4千万人の署名が集まったのです。
・・・・1953年8月3日の衆院本会議で「戦争犯罪による受刑者の赦免の決議」が全会一致を持って採択されました。その結果、戦勝国の一方的な東京裁判によって有罪判決を受けたすべての人々は、日本の国内法では犯罪者とみなさないという基準が明確に打ち出されました。そして、A級戦犯とされた人々は、1958年5月30日をもって釈放されました。(p19-13行~)
その後、恩給法、戦傷病者戦没者遺族等援護法と未帰還者留守家族援護法の三法が審議され、戦争裁判受刑者(戦犯)遺族に対する援護処置が講じられました。
援護法や恩給法では、犯罪者は対象になりません。戦犯とされた方にも選挙権が与えられています。A級戦犯はじめ東京裁判で刑死・獄死した者も法律上は「法務死」即ち公務による死亡として扱われています。(p20-8行~)
マッカーサー元帥は1951年5月3日、アメリカ上院の軍事外交委員会の聴聞会において、「日本が第二次大戦に突入した理由の大半は安全保障だった。」したがって、中国、韓国が現在、金科玉条のように指摘する”A級戦争犯罪人”は日本には存在しない。・・・・靖国神社ならびに同神社への政府関係者の公式参拝に対する近隣諸国の非難には、はっきりとこの点を主張、反論、理解を促して・・・・。(p320-3行~)

2.国際法無視の東京裁判
東京裁判は、一言で表現するなら「戦勝国による報復劇」「リンチ」です。日本に進駐したマッカーサー最高司令官はチャーター(極東国際軍事裁判条例)を発布し、1946年日本解体の最大のハイライトとして東京裁判を開廷しました。(p62-8行~)
A級戦犯とされた人々が裁かれたのは「平和に対する罪」「人道に対する罪」です。この罪状自体、インチキ極まりない。平和に対する罪、人道に対する罪は、戦後、ニュルンベルグ裁判を開く際に決められたもので、事後法です。後で出来った法律を過去にさかのぼって適用し裁く。これは「法の不遡及」という大原則に違反しています。(P65-9行~)
しかし、天網恢恢疎にして漏らさずです。このような欺瞞溢れる復讐裁判に真っ向から異を唱えた判事がいました。唯一の国際法学者、ラダ・ビノード・パール判事です。高潔な精神の持ち主であった判事は、占領軍の圧力にも屈せず、「この裁判は文明国の法律に含まれる貴い諸原則を完全に無視した不法行為」と告発し、日本無罪論を展開、英文にして1275頁のわたる「意見書」を提出したのです。(P66-8行~)
東京裁判はその後、国際法学者の間では、完全に否定され、違法な裁判であったという見方が定着しています。そればかりか裁判に加わった多くの判事が帰国して、裁判の不当性、違法性を証言しました。今、東京裁判の判決を信じているのは、断罪を受けた日本人位です。
東京裁判結審二年後の1950年10月、ウェーク島でトルーマン大統領と会談したマッカーサーは、自ら「東京裁判は誤りだった」と述べました。東京裁判を開廷させた当のマッカーサー元帥が、後に東京裁判は、間違いだったと認めているのです。
1945(昭和20)年8月30日、
連合国軍最高司令官のマッカーサー元帥
厚木飛行場に降り立った。
そして、翌年の5月3日、アメリカ上院の軍事外交合同委員会の聴聞会に置いて、聖書に誓い、「日本は八千万人に近い膨大な人口を抱え、・・・・彼らが戦争に飛び込んでいった動機は、大部分が安全保障の必要にせまられてのことだったのです。」(P68-4行~)
ところが、日本政府は一度たりともマッカーサー証言には触れていません。それどころか、自ら汚名払拭の機会を摘み取った形跡があるのです。マッカーサーの決定的証言を無視し、国民にも知らせず、大東亜戦争は侵略戦争だと認め続ける政治家、官僚、そして政府の罪は誠に大きいと言わねばなりません。・・・・今ではマッカーサー証言は多くの書物で紹介されていますし、インターネットでも流れています。しかし、マスコミも取り上げようとしない。戦後の政治家、官僚、学者、ジャーナリストは、全員、有罪と断定せざるを得ません。(p70-11行~)

第2章日本を骨抜きにした指導者たち
1.歴史に逆行した戦後日本の国つくり
日本人の心の支えであった天皇制や家族制度は戦後、軽視・破壊され、愛国心や憂国心は悪だと日本人は教え込まれました。日本が二千年かけて培ってきた民族の魂や伝統は善ではなく、一転、悪とされたのです。日本ならではの高い徳目は抹殺され、代わりに西洋流の個人主義や物質文明が植え込まれました。たとえば、日本の良き伝統、家の思想です。子にの概念は日本では「ネーション」でもなければ、「ステート」ではありません。あくまdめお「家」が基本の国家で、・・・。(P74-7行~)

占領軍は日本人の魂の象徴である神社の焼き払いまで画策しました。日本の戦争遂行のイデオロギーを支えた精神的支柱とは何か。マッカーサーは、この答えを神道に求めました。(中略)そして、国家神道である靖国神社、明治神宮、伊勢神宮熱田神宮の焼き払いを計画したのです。その計画の最後の決断を下すにあたって、駐日ローマ法王庁代表・バチカン公使代理のブルーノ・ビッテル神父に意見を聞きます。ビッテル神父の見解はこうでした。「自然の法に基づいて考えると、いかなる国家もその国家の為に死んだ人々に対して、敬意を払う権利と義務があるといえる。それは、戦勝国か、敗戦国かをとわず、平等の審理でなければならない。無名戦士の墓を想起すれば、以上のことは自然に理解できるはずである。もし、靖国神社を焼き払ったとすれば、その行為は、アメリカの歴史にとって不名誉極まる汚点となって残るであろう。歴史はそのような行為を理解しないに違いない。はっきり言って、靖国神社を焼却することは、アメリカの占領行為と相容れない犯罪行為である。(中略)われわれは信仰の自由が認められ、神道、仏教、キリスト教、ユダヤ教など、いかなる宗教を信仰する者であろうと、国家の為に死んだ者は、すべて靖国神社にその霊を祀られるようにすることを、進言するものである。」ビッテル神父の進言をGHQは受け入れ、首の皮一枚のところで靖国神社は救われた。しかし、「神道指令」を発布して日本政府に「国家神道、神社神道に対する政府の保証、支援、保全、監督、及び弘布の廃止」を命じました。
(P75-7行~)

私は、日本の古来からの伝統の価値観を縦軸価値観と表現しています。時の流れを軸として何事も考えます。親があり、祖先がいて、自分が生まれた。そして子がいて孫がいる。この世から我が肉体が消滅しても、永遠なる時の流れの中で子々孫々に我が魂は受け継がれ生き続ける。これが縦軸思想であり日本人の良き伝統です。かたや戦後日本を巣くった西欧流の価値観は横軸価値観、横軸思想です。すなわち、現在の価値を大切にする考え方で、「今さえ良ければ」という現世利益主義、刹那主義です。横軸価値観は私利私欲、拝金物質主義、身勝手、快楽主義をもたらします。人々はその時どきの欲望に支配され、自分の欲望を満たすためには、どんなことをしても良いのだという価値観に結びついていきます。縦軸価値観では先人が築き継承してきた文化、伝統を大切にし、後世に伝えて行こうとします。戦争に負けるまでは、私たちは礼節を知る心、勤勉性、忍耐心、公徳心と言った日本人の心と魂を重んじてきました。
しかしこれらの美風は、戦後はびこった自分本位主義、無責任主義、問題先送り主義にすっかり吹き飛ばされてしまいました。
横軸価値観がもたらした害毒の最たる見本が官僚制度の腐敗です。私利私欲が最優先の横軸思想には、公などありません。公僕である官僚が、今は国益そっちのけで既得権の確保にのみ奔走し、汚職を汚職とも感じず、国民の血税を自分の欲望のために浪費しています。
アメリカにご機嫌を伺い、国益など眼中にない金融経済官僚、中国や朝鮮半島におもねり、国家主権まで踏みにじる外交官僚などはその典型です。(P78-1行~)

東大法学部教授の「犯罪」
この腐敗した官僚制度の基をつくった人物がいます。戦後の法曹界で力を持ち、東京大学法学部出身者が牛耳る官界、官僚政治に強い影響力を及ぼし続けた人物、東京大学法学部教授、横田喜三郎です。


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