Translate

2022年1月9日日曜日

年寄りは声を挙げなければ。

 facebookの投稿(2022.01.09)

『明日の成人の日を前に自分の二十歳の時を思い出す。久々に友と会う楽しさと新調した背広の他には、何も考えずにいた能天気の若者。それから半世紀、それがこの齢で国を憂える。やはり、年寄りは声を挙げ語らなければならぬ。』


明日の成人の日の「国旗掲揚」のお願いの投稿をしましたが、自分の二十歳の頃を思い出しました。黒田原の公会堂で式典を行いその後で近くの結婚式のできるような寿司店で宴会を行いました。それぞれに羽振りが良く、既に仕事に就いている者は、リーゼントに格好の良い背広で、集いました。大学に進学した者も少しは居たのですが、彼らは、大人しく働いている者が、仕切っていました。一足早く社会に出たせいか、女性は、晴れ着で馬子にも衣裳の体で、男女共に思いのある異性にあえるのが楽しみでした。誰一人として、政治に関わりの合うようなものは居ませんでした。

今、私は、古希を過ぎて近現代史に関心を持ち、その嘘の史実に憤りを持ち、facebookに投稿をしています。自分のこの半世紀を振り返ると、言葉もありません。何という時間を政治に関心を持たずにその欺瞞に満ちた社会で生きた来たのかと思う。ここで史実の云々を言う心算はないが、古希を過ぎた自分の遣るべきことを確信する。昔から問題は、誰が遣るのかではなく、気付いた者が遣るべきと言うルールを持っていた。だから、今自分が気付いたのなら、それは神様が与えた自分の使命だと思えたのです。昔から、啓蒙書をよく読みましたが、積極的に生きる道を選んできました。ですので、現在気付いた問題、近現代史の真実を社会に声を挙げ語ろうと決意しています。私もそうでしたが、若者は、戦後に正しい歴史教育を受けていません。だから、還暦を過ぎてダイレクト出版社の歴史情報を得てから、近現代史の嘘、真実を学びました。実際に投稿をし始め、国旗掲揚を行うのも5年程前からです。だから、他の同年代の人達の気付かない事を責めることもしませんし、身近な人たちの国旗国歌に対する考え方に失望感を持つこともありません。そういう自分でさえも5年前です。気付いた時が、スタート。火が着くのは、いつか何で気付くのかは、人それぞれ、決めつけはいけないと思っています。しかし、私は楽観しています。私がそうであるように日本人のDNAが、そうさせていると感じています。日本精神と言う言葉が当てはまります。戦後焼け野原からの経済復興は、日本人の力だと思います。20代に1974年に中近東をひとり旅しましたが、アラブの人達は、私が日本人と知ると畏敬の念で見ていました。私の風貌ではなく日本人の言葉がそうさせたのだと思います。それは、第二次世界大戦で見せた日本人の戦いが、そうさせたのです。また、3.11の東日本大震災の被災に暴動も起こらずに人々が、助け合って譲り合って生きることを当たり前にしていました。私は、声を挙げ続けます。日本人なら、必ず自分の中にある日本精神に気づきます。皇紀2682年ですが、その年月で培われた精神です。戦後直ぐの連合国の為した東京裁判史観、WGIPで、如何に敗戦利得者と言う者達を使い日本精神の破壊をし続けていますが、決して失われることはありません。今が、潮目です。

0 件のコメント:

コメントを投稿

毎週火曜日夜のZOOMセミナー「近現代史概要」

史学日本塾のZOOMセミナーのご紹介(2023.10~2024.03)

  史学日本塾では、毎週火曜日と木曜日にZOOMセミナー を開催しています。 一昨年(2022年)5月から、那須塩原市まちなか交流センター「くるる」でリアルの塾を開校しておりましたが、同時にZOOMでも配信いたしました。そして11月から、それらの講義をZOOMとして、2023年5...