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2022年3月13日日曜日

「孫兵衛の月」fb Vol003

 『「お月さんあるのかな」の孫兵衛の声に寒天の空見上げる先に半月の朧月。爺婆には、パワー溢れる姿嬉し。』


 孫兵衛を見る度に「我々爺婆に孫が出来るなんて」と思っています。今年の誕生日を迎えて満4歳となりますが、娘は晩婚で結婚してからも中々子宝に恵まれずに不妊治療を受けて居ました。数年が過ぎやっと恵まれ高齢出産でしたので、生まれるまでは本当に気遣いましたが、無事に出産できました。驚くことにそれも「娘の誕生日に」です。娘が嘱託で勤めたのが近くの郵便局でした。そして、孫兵衛は3カ月から保育園に預けられました。娘夫婦は新居を持ちそのローン返済の為に共稼ぎを余儀なくされていました。

 現代は少子高齢化と言いますが、共稼ぎを当たり前にします。子どもも慣れたもので嬉々としてチャイルドシートに収まり、保育園でも熟練の先生方が対応してくれました。早朝の送りと夕方の迎えが爺の仕事です。子どもたちも面白いもので迎えに行き教室を覗く私の顔を見ると、OOちゃんの爺々だと内に声が上がります。最近では、言葉も大人じみて驚きます。何処で覚えてくるのだろうかと思うけれども、当然保育園のお友達からでしょう。

 今夜はいつものように自宅に帰る時間になり、玄関の上り口で抱きかかえ庭に出ました。孫兵衛は夜空に輝く星や月を探して「今日はお月さんあるのかな」と話します。暗く曇り月が見えなかったのですが、寒い天井の夜空に朧月が見えました。薄っすらと雲に月光が広がり久々に見る朧月です。「OOちゃん、ほらあそこにあるよ」と見あげて言い促しました。不思議そうに見て納得したようです。車のチャイルドシートに収まりバイバイと手を振ります。私たち爺婆には孫兵衛は生きる糧、元気の元になります。昔ある女性から「私たちは祖父母の背中を見て育ち、その祖父母は更に御先祖の祖父母の背中を見て育ちます」現存する人たちは万葉の古代から100代以上続いて来ています。私たちはすぐそこまで御先祖の影響を受けて来たことを知ります。私に孫兵衛は私達の想いを伝える子であると思っています。

 


「日本再生を願う」fb Vol002

 『ラーメンとん太のオーナーの言葉「同じポーションでも熱心に作る情熱が美味さとなり繁盛店となる」と。戦後レジームから脱却し日本再生を願う我は情熱がそれを産むと信じる。』


 私が伝統工芸品の通販を思い立ったのは、2009年一杯で出向先の羽鳥湖高原レジーナの森を退社することになり、次の職場の当てをどうしたものかと思いを巡らせていた時です。日本ビューホテルとは既に嘱託契約でしたので、赴任地が契約終了とともに次の勤務地を決めなければなりません。本部の企画担当の者からホームページビルダーで簡単にホームページを作ることが出来ると聞き、自分の長年付き合いのある職人達の伝統工芸品を通販で販売したら売れるかも知れないと思ったことでした。

 2010年4月8日に株式会社とぴい企画を設立し4月22日に手仕事専科の通販サイトをアップしました。設立日は母の誕生日です。また、その日を2匹の飼い犬の誕生日ともしていました。気持ちの中に母や犬達への想いと起業の守護を願っていたのだと思います。最初のご注文は半年後の11月でした。その間の数カ月を失業保険で対応したのですが、初めて朝起きた時に出社する必要が無いという気軽さは素晴らしいものでした。「肩の荷を降ろす」の言葉を聞きますが、将にそれでした。その後、株式会社秀穂那須工場の通販係の募集があり嘱託で採用されました。それが「ラーメンとん太」です。オーナーは有名なラーメンフランチャイズ店の草分けで誰しもが知る方、草野秀雄氏でした。通販業務はそれ程に忙しいわけではなく、製麺や関連商品製造の業務が殆どで、時折本部から来られる常務がプロの言葉や心意気を教えてくれました。現場の叩き上げの言葉がありますが当にラーメンを作らせたら右に出る方はいないと言える方です。

 ラーメンとん太はスープをポーションにし、麺と一緒にセットで何百と言うフランチャイズ店に卸します。そのスープと麺を作るのが那須工場でした。フランチャイズ店では店舗の運営とそれをマニュアルに沿って茹でて盛り付けるだけなのですが、繁盛店もあれば直ぐに潰れてしまう店もあります。有名な元WBA世界ライトフライ級チャンピオンの具志堅用高さんもフランチャイジーでしたが、人気のラーメンとん太店でした。常務の話は「同じ条件のスープと麺でどうして繁盛店があり、潰れる店があるのか」です。秀穂のオーナーは「お客様を目の前にして茹でる温度、スープの温度、碗の温かさ、トッピングの調理具合、タイミング・・・、一生懸命にお客様に気遣いをして作るのか否かで、食べた時に美味しさが違う」と言います。更に店の入口の看板、幟、掃除、清潔感、来場時のご挨拶、お客様への気遣い、繁盛店を作るという気構えが、情熱が大切だと。

 私は、ホテルマンとして、30年を現場のレストラン、予約、フロント、営業、用度、そして、青森、福島の出向先でホテルを一から立上げ社員教育をして来ました。常務の一言、一言が、腑に落ちます。ラーメンの茹で方、作り方を深く知っていたわけではありませんが、ホテルの喫茶コーナーで夜食のラーメンを作っていましたので、手に取るように分かりました。私がホテルマンになり数年が経った頃に当時のGMから「食は三代」の言葉を聞きました。調理業界の者は理解できるでしょうが、含蓄のある言葉です。調理で大切なのは包丁捌き、盛り付け、そして、味ですが、包丁は数年も修行すれば身に付きます。そして、盛り付けはその方の美的センスが関係することから7、8年を要するでしょうが、ある程度は身に付くでしょう。しかし、味は一生かかっても難しいと言えます。三代の意味は初代が食の職業に就き、その二代目の息子が更に精進して店を繁盛させ、その三代目の孫が生まれた時からその味に馴染み覚えます。生まれた時からの三歳児の味覚です。私が津軽に赴任して現地で調理人を採用しましたが、見習いは、調理は初めての若者です。調理長は、味は津軽の味付けで問題は無かったのですが、若干盛り付けに難がありました。それでも彼は、次第にその感覚を身に着けて、及第点を取れるようになりました。問題は見習いの若者にありました。最初は洗い場や下働きから始まりますが、ある時から従業員の昼と夜の食事を担当させました。賄いといいます。彼は、塩っぱ口と言うのでしょうか、塩味が強く私達にはとても食べられた物ではありませんでした。初めは傷つけないように柔らかく話しましたが、全く直りませんでした。今も勤めているのかどうかは分かりません。GMの話では「調理の評判が悪い時は調理長を換えるのが常套です」改善されて良くなることは無いからです。特に味付けは駄目です。話が飛んでしまいましたが、ラーメンとん太の繁盛店は「情熱」が鍵でした。

 私の勧める「戦後レジームの脱却」はある意味難しい言葉です。最近では安倍総理が「戦後レジームの脱却」を述べていますが、その言葉は総理が「海外である種の誤解を生んでいる」と答弁しており「その意味するところが必ずしも明確ではないのではないか」と言われています。それは「歴史問題」にあります。我々は近現代史で戦後のGHQによる占領統治が現代法において違法であり、そのもとに勧められたと認識しています。アメリカも日本政府も公的には違法性を認めていません。吉田茂自民党はアメリカの傀儡政権です。戦後に最有力の総理候補だった重光葵を毒殺し、鳩山一郎を公職追放し、悉く旧来の保守的な人物を戦犯としています。東京裁判史観に示されるそのもとになされた政策は違法です。しかし、その真実を話すと「歴史問題」となるからです。

 歴史修正主義(Historical revisionism)とは歴史的な記述の再解釈を示すものです。これは通常歴史的な出来事や時間軸、現象について専門の学者が持つオーソドックスな(確立された・受け入れられた・伝統的な)見解に挑戦することやその見解とは反対の見解を示す証拠を紹介すること、関係者の動機や決定を再解釈したりすることを含みます。歴史的記録の修正は事実・証拠・解釈の新たな発見を反映することができ、その結果、歴史が修正される。劇的なケースでは、歴史修正主義は古い道徳的判断を覆すことを伴います。私たちには「占領時代にGHQが作った戦後のレジームを変えたい」ということです。「それで天皇の命と引き換えに押し付けられた憲法を改正する」「あるいは戦前の日本は悪だったという教育のやり方を変える」「また、外交についてもアメリカに従属するのではなくより独自の立場に立つ」そのことを意味します。

 アメリカは、占領時代に作られた体制は日本の国民の多くに受け入れられ日本のものになっていると言います。私たちは戦後統治でアメリカの傀儡の吉田茂自民党、公職追放で従来の人々に代わりアメリカにすり寄る官僚、アカデミーに左翼共産主義者を挿げ替え、メディアをプレスコード(検閲)で統制して真実の歴史を隠蔽してきました。彼らを「敗戦利得者」と言います。

 白人国が良く使う植民地経営の二重構造で日本を統治してきました。「戦後レジームの脱却」の中心に来るのは日本精神を破壊した英語の押付けの日本国憲法を廃棄し、日本人の魂、精神を持つ帝国憲法の修正復活です。これらには甚大な情熱を要するでしょう。既に戦後77年が過ぎてその体制が既成事実化しています。その体制を変えて戦前まで日本人が持っていた精神性に戻ることは並大抵ではないでしょう。脱却の方法も情熱も私の知らないことです。しかし、情熱をもって為そうと思います。それに「ラーメンとん太」の情熱を比喩として使いました。



「愛国心」 fb Vol001

 『愛国心とは、家族を、郷土を、国を想うこと。私の知る中東やアジアの国々では、国旗国歌は格好いいこと。皇紀二千六百八十二年の紀元節、世界最古の歴史持つ日本を心から祝いたいと思う。』

 

 私の中学の同級生に「国旗掲揚」の話をすると一戸建ての時は掲揚したことがあるが、現在はマンション住まいで掲揚すると「右翼と思われる」と言い、隣近所の目が気になるので掲揚はしていないと話します。私の同級の友人達に聞くと国旗掲揚するのは片手程も居らずに本当に数名です。殆どの日本人が愛国心というと「右翼」「漠然と戦前の軍国主義」をイメージします。私も最近まではそうでした。愛国心は世界共通の言葉であり誇らしい言葉の筈です。貧しい国、富める国、共産主義国家であっても「愛国心」は当たり前です。愛国とは「国を愛う(想う)」と書きます。私は妻を、家族を、郷土を、そして、国家を安寧で幸せにと想います。増して、外国から蹂躙される事など決して想いもしません。

 嘗て、23歳の時にソビエトを筆頭にヨーロッパ、中近東、インド、東アジアを一人旅してきました。約2年間の旅は今では危険で思いもしませんが。ひとつ日本人であることを否が応でも意識しました。当時流行った「一日5ドルの旅」、バックパッカーと言いリュックを背負い、旅をします。ヨーロッパではヒッチハイクとユースホステル泊り。私は、そのリュックに日の丸の旗を括りつけました。遠目でも日の丸の旗がわかり一目で日本人と分かります。彼等には、私達の風貌は他のアジア人と見た目は変わりませんので、日の丸で日本人だと分かり侮られません。そして、日本文化の素晴らしさと日本と言う国家の国力(経済力)に気付きました。日本では当たり前と思って来たことが当たり前ではなく、凄いことだとわかったことです。私達は英米仏を優れた白人国家と思っていましたが、日本人国家と何ら変わらないこと。更に経済では日本が優れていることなど、文化でも独自の文化を持ち英米と比肩できるということ。列車でトルコからドイツの国境を超える際に、日本人はパスポートを見ると荷物検査をせずにフリーパスですが、中近東、トルコからの出稼ぎの者達は子沢山の家族連れが多いのですが、荷物を全部床に直に広げさせられ、横柄に隅に追いやられます。それが、国家が弱いということの証でした。更にトルコやシリア、ヨルダンの中近東では日本人と言うと畏敬の目で見られました。誰も侮らず、これが日本人かと言う目で見られました。空手、空手と言い子ども達が寄ってきます。当時は、ブルースリーのカンフー映画が流行っていたからでしょう。日本人はカナダやアメリカ、イギリス等の白人達のバックパッカーと同じく、裕福で英語を話し嘗てロシアや清国と闘い勝利し、第二次世界大戦で英米蘭蒋の白人国家と戦い敗れはしましたが、アジアの自分達に独立を齎した国だと知っています。ヨルダンからイラクの国境では日本人と知ると入管事務所に通されてかなりの高官に歓待されました。他国から侵略されてきた国家、民族は、自国の国旗や国歌はアイデンティティを示す大切なものです。国旗、国歌は格好良いものです。

 皇紀2682年の今年、第126代の今上天皇は世界最古の歴史を物語ります。古事記の天照大神の神話は誰しもが知るでしょうが、神武天皇が天照大神から第5世代直系子孫(来孫)で初代の天皇と聞きます。その神武天皇が即位したのが皇紀1年2月11日。紀元節が明治5年に制定されました。世界には三大神話があり、ゲルマン、ギリシャ、そして日本の古事記です。何れも神話の神様があり神様から続いて初代の王様が生まれています。しかし、唯一現在も系統が続き残っているのは日本国だけです。何と素晴らしい歴史を持つ国家、民族でしょうか。これらの歴史、史実を子ども達に伝えることで、どれ程に自国に誇りを持てる子どもに育つことでしょうか。そして、国家に、世界に役立つ仕事のできる者になるでしょうか。それを思うと私は夢が膨らみます。

facebook essay 「はじめに」

 私がfacebookに出会ったのは2011年の5月です。私は2010年4月に「手仕事専科」という伝統工芸品の通販サイトを立上げ、起業していました。手仕事専科は160工房ほどあるのですが、そのひとつJago CeramicsのJay Jagoに「SNSでとても人気のものがあるよ」と紹介されてからです。早速、宣伝のために登録し、主に手仕事専科商品紹介で使いました。それから、既に11年が過ぎようとしています。更に5種類ほどのページを持ち、それぞれに工芸品歴史健康的な伝統食四季の風景和美空間のテーマを持たせています。 

 現在は、直接工芸品とは関わらない近現代史のテーマで投稿することが多くなりました。これらは本当に5、6年前からと言って良いのですが、通販のコンサル会社の株式会社ダイレクト出版社にいくつかの近現代史についての部門があり、それらの紹介等を見て戦前戦後の日本の歴史を知ったからです。私が漠然と思ってきた史実と真逆であることを知り愕然としました。と同時にそれらの嘘捏造の史実に何故誰も声を挙げなかったのかという疑念を持ちました。

 直ぐに理由が分かりました。それは、「敗戦利得者」たちによります。アメリカの違法な占領統治で私たちはそれはそれはと言える酷い統治を受け洗脳をされました。「アメリカに楯突く強い日本を再生させてはならない。」という意図のもとに。WGIP、東京裁判史観という言葉を聞いたことはあるでしょうか。私は知りませんでした。「敗戦利得者」は白人国家の植民地支配で使う手法です。直接に統治するのではなく、白人との混血や白人に与する少数民族や階層の人達により、多くの者達を統治する「民族による二重構造の統治」です。彼らはGHQに与するか、公職追放され戦犯とされるかの二者択一を迫りました。世界的に知られ尊敬されていた国士、戦後の日本を背負うだろう重光葵は、毒殺されました。保守的な鳩山一郎が戦後の政界の筆頭にありましたが、彼は拷問を受け戦犯とされて排除されました。代わって吉田茂が筆頭となり、戦後レジーム、55年体制は、GHQに与した吉田茂自民党によってスタートしました。他にも、農地解放や財閥解体、公職追放令、プレスコード(検閲)、そして、官僚、アカデミーを左翼の者達に総入れ替えをしました。戦前は、左翼や犯罪を起こした在日朝鮮人達が獄に繋がれていましたが、彼らが組合やそれぞれの団体の要職についたのです。私達の耳に聞くのは在日朝鮮人の笹川良一や児玉誉士夫などですが、戦後の日本の政財界のフィクサーとして活動しています。更に酷いことは松本丞治という憲法学者の作った憲法草案を門前払いにし、日本国憲法にフィリッピン憲法を焼き直して日本に押し付けたことです。僅か一週間で作り上げ、しかも、天皇の命と引き換えに脅して受け入れさせました。昭和21年2月13日です。戦前の史実を伝える7769冊もの書籍を焚書とし没収し廃棄しました。日本は素晴らしく悪の国家ではないという本当の史実を伝える書籍は都合が悪かったからです。1952年に勃発した朝鮮動乱の時にマッカーサーは自分の過ちを認めています。そして、日本は侵略ではなく自衛のための戦争をしたとアメリカ議会の場で述べています。

 私は戦争を「民主主義対軍国主義」「民主主義の勝利」「戦争を早期に終了させるために二発の原爆は必要だった」「アメリカは日本に民主主義をもたらした」と学びました。中学生の時です。しかし、これらは全て真逆です。「自虐史観」を植え付け国民に真実を伝える歴史を教えずに今日に至ります。未だに「敗戦利得者」により更に輪をかけて喧伝し続けています。「真正保守」という言葉がありますが、これが、私がfacebookで投稿をし続ける由縁です。現在の自民党は保守ではありません。似非保守、アメリカの「根本的な日本精神の解体」そして、対米従属を求める政党です。日本国は確りと自立した国家としてあるべきです。不戦、軍隊の不保持をうたう日本国憲法を「平和憲法」とし、国内に130箇所もの米軍基地を持つ日本は自立した国家と言えるでしょうか。私はこれらの事実を広く皆様に知ってもらい、覚醒を促したいと思っています。現在も旗日に国旗を見る家は皆無です。国家民族を誇りに思い、父祖の霊に感謝し、近い将来に全ての家で国旗掲揚が為されることを願っています。


2022年1月9日日曜日

世界中の保守よ、連帯しよう。

facebook(2022.01.10)

『保守とは、民族を国家を思う人々。全体主義のグローバリストや共産主義者と対峙する。彼等には、国も民族もなく己が利益だけ。世界中の保守よ肩を組み彼等と戦おう。』 
2022.01.01の我が家の国旗掲揚。
新雪の青空の清々しい朝でした。

保守を調べると、フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)によると「保守(ほしゅ)または保守主義(ほしゅしゅぎ、英: conservatism)とは、従来からの伝統・習慣・制度・考え方・新機軸などを穏健に尊重し維持するため、改革や革命などの革新に反対する社会的・政治的な立場、傾向、思想などを指す用語。」とあります。私は、シンプルに「法と秩序を大切にする考え」を指します。第二次世界大戦時の民主党と共和党を指して、グローバリスト、ナショナリストの言葉を見ます。グローバリスト(国際主義)とは、「共産主義」「社会主義」「左翼リベラル思想」「ネオコン(新保守主義)」「新自由主義(ネオリベ)」…、様々な形があります。これらの共通項は、国家の価値や民族の価値、それらのナショナリズムを否定して世界を統一すること(ワンワールド)、つまり世界政府を樹立することです。左翼、リベラリストは、国家を軽視する傾向にあります。国民よりも市民(地球市民)なのです。市民は、伝統的価値とは無縁です。国家や国籍など関係ない、国境をなくし人の移動を自由にするグローバリズムと、多文化共生、国民より市民といったリベラル思想の行き着く先は同じなのです。市民的価値のために地域社会を越えて連帯し、既存の社会秩序を否定する方向に流れ、いずれ国家否定に向かいます。自由主義などと言い洗脳しています。
それに対するナショナリストは、「ナショナリズム(英: nationalism)とは、国家という統一、独立した共同体を一般的には自己の所属する民族のもと形成する政治思想や運動を指す用語。 日本語では内容や解釈により国家主義、国民主義、国粋主義、国益主義、民族主義などとも訳されている。 パトリオティズムとは区別される。」とある。いろいろな意味合いがあり、私としては、どれか一つにというと難しい。私は、シンプルに愛国者、保守をナショナリストとしています。愛国者は、家族を想い、地域を想い、民族を想い、国家を想うことです。愛するとは、想うことです。シンプルですよね。自分に置き換えてみると分かりやすいでしょう。妻を夫を想い、子ども家族を想い、地域の人々を想う。更に日本人を想う。オリンピックや世界大会で日本人の活躍に胸を躍らせます。そして、国家です。私は、いろいろな歴史上のエピソードを読んだり聞いたりする機会がありますが、その際に涙することが、多くあります。自分の琴線に触れるからです。「想うこと」とは、この様なことに思います。

私は、アメリカの山中泉氏の書いた「アメリカの終わり」を読み、衝撃を受けました。そこには、ウォール街のユダヤ金融資本家達の世界戦略と民主党の横暴が書かれていました。CFR(外交問題評議会)は、1921年に設立され、外交問題・世界情勢を分析・研究する非営利の会員制組織であり、アメリカの対外政策決定に対して著しい影響力を持つと言われています。超党派の組織であり、外交誌『フォーリン・アフェアーズ』の刊行などで知られますが、彼らの傘下にあります。今やアメリカは、株式会社アメリカ合衆国と言われ、かつての共和国ではありません。FAGAと言われる企業に乗っ取られた国家です。反れば、世界に君臨して、彼らの横暴さを撒き散らしています。
山中氏の言葉に「ラストベルト」の呼び名があります。イリノイ、インディアナ、ミシガン、オハイオ、ペンシルバニア諸州を含むアメリカの地域は「ラストベルト(さびついた工業地帯)」と呼ばれています。この呼び名は、これらの地域の多くの産業が時代遅れの工場・技術に依存していることからつけられました。1970年代、激しくなる国際競争への対応策として製造業者がこれらの地域からアメリカの他の地域やメキシコに工場を移転、かつて繁栄していた工業地帯の経済が悪化したことによりこの名称が幅広く使われるようになりました。これらの地域では、工場閉鎖にともなって失業者が増加し、多くの人々はこの地域を去りました。デトロイト、セントルイス、クリーブランドなどの都市、あるいはインディアナ州ゲリー、オハイオ州アクロンといった比較的小さな都市は、都心が衰退してしまったラストベルトの都市の例です。デトロイトは、現在も世界最大規模の製造業の中心地ですが、製造業が衰退していく中で、製造業への依存を減少することができずにいます。
1980年代までには、非製造業の導入と拡大によってラストベルトの経済は大きく改善しました。1950年代から1980年代初頭にかけて、ピッツバーグは鉄鋼産業の縮小によって衰退しましたが、近年、研究開発と金融の中心として復興しました。

戦後のアメリカは、私達の憧れでしたが、そのアメリカが、1980年代を皮切りに信じられない忘れられた地域に代わりました。華やかなアメリカは、メディアでは依然として見かけますが、そうでない人々がひっそりと昔ながらの生活で生きているのです。彼らは、敬虔なクリスチャンです。古き時代の古き価値、法と秩序を守り生きている人々です。
私は、彼らをナショナリストと呼びます。極左と言われる、民主党左派の人々とは異なります。D・トランプは、2020年の選挙で、7400万票を得ています。歴代大統領の中では、最大数の票を得ています。トランプによって、アメリカの経済は、改善されました。
しかし、民主党の以下様の選挙、「票が盗まれた」ことにより、ジョー・バイデンが、勝利しました。あれ程の不正が為されたにもかかわらず、CNN、WP、NT、NBC等の民主党系のメディアは、一切の不正を述べていません。トランプ叩きで明け暮れていました。
私がアメリカと言っている時の人々は、嘗てのFDルーズベルトやトルーマン、IPRのコミュニスト達です。現代では、グローバリストの代表であるウォール街金融資本家達であり、民主党極左です。彼らは、世界を席巻しています。ヨーロッパでも中近東でも、アジアでも。それに対抗する弱小の保守がいます。
一般的に彼らは集うことがありません。私は、世界中の保守が、それぞれの国の中でグローバリスト達と戦っていることを知っています。日本もですが、その保守の人達に世界中の保守の人達に大同一致して闘うことを提案します。

年寄りは声を挙げなければ。

 facebookの投稿(2022.01.09)

『明日の成人の日を前に自分の二十歳の時を思い出す。久々に友と会う楽しさと新調した背広の他には、何も考えずにいた能天気の若者。それから半世紀、それがこの齢で国を憂える。やはり、年寄りは声を挙げ語らなければならぬ。』


明日の成人の日の「国旗掲揚」のお願いの投稿をしましたが、自分の二十歳の頃を思い出しました。黒田原の公会堂で式典を行いその後で近くの結婚式のできるような寿司店で宴会を行いました。それぞれに羽振りが良く、既に仕事に就いている者は、リーゼントに格好の良い背広で、集いました。大学に進学した者も少しは居たのですが、彼らは、大人しく働いている者が、仕切っていました。一足早く社会に出たせいか、女性は、晴れ着で馬子にも衣裳の体で、男女共に思いのある異性にあえるのが楽しみでした。誰一人として、政治に関わりの合うようなものは居ませんでした。

今、私は、古希を過ぎて近現代史に関心を持ち、その嘘の史実に憤りを持ち、facebookに投稿をしています。自分のこの半世紀を振り返ると、言葉もありません。何という時間を政治に関心を持たずにその欺瞞に満ちた社会で生きた来たのかと思う。ここで史実の云々を言う心算はないが、古希を過ぎた自分の遣るべきことを確信する。昔から問題は、誰が遣るのかではなく、気付いた者が遣るべきと言うルールを持っていた。だから、今自分が気付いたのなら、それは神様が与えた自分の使命だと思えたのです。昔から、啓蒙書をよく読みましたが、積極的に生きる道を選んできました。ですので、現在気付いた問題、近現代史の真実を社会に声を挙げ語ろうと決意しています。私もそうでしたが、若者は、戦後に正しい歴史教育を受けていません。だから、還暦を過ぎてダイレクト出版社の歴史情報を得てから、近現代史の嘘、真実を学びました。実際に投稿をし始め、国旗掲揚を行うのも5年程前からです。だから、他の同年代の人達の気付かない事を責めることもしませんし、身近な人たちの国旗国歌に対する考え方に失望感を持つこともありません。そういう自分でさえも5年前です。気付いた時が、スタート。火が着くのは、いつか何で気付くのかは、人それぞれ、決めつけはいけないと思っています。しかし、私は楽観しています。私がそうであるように日本人のDNAが、そうさせていると感じています。日本精神と言う言葉が当てはまります。戦後焼け野原からの経済復興は、日本人の力だと思います。20代に1974年に中近東をひとり旅しましたが、アラブの人達は、私が日本人と知ると畏敬の念で見ていました。私の風貌ではなく日本人の言葉がそうさせたのだと思います。それは、第二次世界大戦で見せた日本人の戦いが、そうさせたのです。また、3.11の東日本大震災の被災に暴動も起こらずに人々が、助け合って譲り合って生きることを当たり前にしていました。私は、声を挙げ続けます。日本人なら、必ず自分の中にある日本精神に気づきます。皇紀2682年ですが、その年月で培われた精神です。戦後直ぐの連合国の為した東京裁判史観、WGIPで、如何に敗戦利得者と言う者達を使い日本精神の破壊をし続けていますが、決して失われることはありません。今が、潮目です。

前野徹著 新歴史の真実の紹介.001/3

「史学日本塾」は、私の好きなブログ名ですが、暫くは、「日本の歴史と誇りを知る史学塾」のブログ名で書いて行きます。近現代史の情報発信のプラットフォームとして、活動する予定です。ブログ名だけでは、内容が分からないからですが、最終的には、当初のブログ名とサブタイトルとして考えています。宜しくお願いいたします。

こちらのブログでは、一つの活動として、歴史書を取り上げ、書籍と著者のご紹介と私の解説を書いて行きます。まず最初は、次の書籍です。

2005年3月20日第一刷
書籍の帯には、次のように書かれています。大ベストセラー待望の文庫化 アジアから見た歴史の真説!!抹殺された輝かしき日本史を石原慎太郎氏大絶賛!!第二次世界大戦後、日本を断罪した東京裁判は、国際法学者の間では完全に否定され、違法な裁判であったという見方が定着しています。そして、連合国最高司令官マッカーサー自身も、1950年、トルーマン大統領に対し、「東京裁判は誤りだった」と認めています。日本人は、自分たち自身の歴史を、果たしてどこまで知っているのでしょうか?この本は、世界で初めてアジアから見た世界史観を示したものです。読めば祖国ニッポンへの愛情も100倍に!

著者経歴 前野徹氏
1926年生まれ。日本大学卒業後、読売新聞、東京新聞社を経て、60年東急グループ総帥の五島昇氏に東京急行電鉄の秘書課長としてスカウトされ、五島氏の懐刀として政界、財界、マスコミなどの対外折衝役として活躍する。70年東急エージェンシー常務、専務、副社長を歴任し81年より11年にわたり社長として業界13位から電通、博報堂につぐ3位に躍進させる。95年アジア経済人の大同団結を目指した経済団体、アジア経済人懇話会を設立。現在、同会長ほか高根グループ会長、(社)ニュービジネス協議会顧問などを務める。各分野の勉強会の提唱者として若手起業家から創業経営者まで多くの集まりを主宰する。著書に『他人の良さ、自分の良さの活かし方』(かんき出版)『戦後歴史の真実』(経済界)『目ざめよ、日本』(サンラ出版)『第四の国難』(扶桑社)『日本、崩壊の危機』(到知出版社)『凛の国』(青春出版社)『亡国日本への怒りの直言』(PHP研究所)がある。

私が関心を持った個所を箇条書きして、紹介したいと思います。
1.国内法では戦犯は存在しない。
靖国神社は、1869年(明治2年)明治天皇の思し召しによって、戊辰戦争で斃れた人々を祀るために創建されました。当初、東京招魂社と呼ばれていましたが、1879年(明治12年)に靖国神社と改称されて現在に至っています。後に幕末、国内の戦乱に殉じた志士たちなど広く日本の近代化、護国に殉じた人々を合祀しました。(p323-13行~)
靖国に眠るのは、大東亜戦争(これを第二次世界大戦と改称させた)の戦没者だけではありません。維新の志士を育てた吉田松陰、近代日本の礎となった坂本竜馬、中岡慎太郎、高杉晋作、橋本左内など告示に尽くして倒れた志士たちも志士たちも祀られています。加えて獄中で倒れた志士の妻、従軍看護婦、沖縄で戦没すたひめゆり部隊など5万7千余柱の女性の御祭神。この国をつくり、護った総数246万6千余柱の御祭神が眠っています。(P22-14行)
「戦犯」は言うまでもなく戦争犯罪人です。日本の統治の指導者たちにA級戦犯というレッテルを貼ったのは誰か。連合国による極東軍事裁判(通称東京裁判)です。この東京裁判は後述するように、裁判とは名がついているものの、全くでたらめの戦勝国による復讐劇でした。ですが、当時はGHQ(連合総司令部)の占領下、裁判の判決に異議を申し立てることはもちろん、批判も禁じられており、A級戦犯とされた28人の内7人は汚名を着せられたまま絞首台の露と消え、16人が終身禁固刑、あとの二人も禁固20年と7年の刑に処さられました。
東京裁判で被告人席に座らされた東条英機・元陸軍大将
(1947年12月26日、写真:近現代PL/アフロ)
1952年4月28日、サンフランシスコ講和条約が発効し、日本は独立国に復帰します。この時点で、自由に発言できるようになった私達の先輩は、不当な東京裁判の判決に激しい批判と抗議を行いました。(p19-5行~)・・・・戦犯とされた英霊たちの名誉回復が叫ばれ、戦犯釈放は国民運動として盛り上がり、4千万人の署名が集まったのです。
・・・・1953年8月3日の衆院本会議で「戦争犯罪による受刑者の赦免の決議」が全会一致を持って採択されました。その結果、戦勝国の一方的な東京裁判によって有罪判決を受けたすべての人々は、日本の国内法では犯罪者とみなさないという基準が明確に打ち出されました。そして、A級戦犯とされた人々は、1958年5月30日をもって釈放されました。(p19-13行~)
その後、恩給法、戦傷病者戦没者遺族等援護法と未帰還者留守家族援護法の三法が審議され、戦争裁判受刑者(戦犯)遺族に対する援護処置が講じられました。
援護法や恩給法では、犯罪者は対象になりません。戦犯とされた方にも選挙権が与えられています。A級戦犯はじめ東京裁判で刑死・獄死した者も法律上は「法務死」即ち公務による死亡として扱われています。(p20-8行~)
マッカーサー元帥は1951年5月3日、アメリカ上院の軍事外交委員会の聴聞会において、「日本が第二次大戦に突入した理由の大半は安全保障だった。」したがって、中国、韓国が現在、金科玉条のように指摘する”A級戦争犯罪人”は日本には存在しない。・・・・靖国神社ならびに同神社への政府関係者の公式参拝に対する近隣諸国の非難には、はっきりとこの点を主張、反論、理解を促して・・・・。(p320-3行~)

2.国際法無視の東京裁判
東京裁判は、一言で表現するなら「戦勝国による報復劇」「リンチ」です。日本に進駐したマッカーサー最高司令官はチャーター(極東国際軍事裁判条例)を発布し、1946年日本解体の最大のハイライトとして東京裁判を開廷しました。(p62-8行~)
A級戦犯とされた人々が裁かれたのは「平和に対する罪」「人道に対する罪」です。この罪状自体、インチキ極まりない。平和に対する罪、人道に対する罪は、戦後、ニュルンベルグ裁判を開く際に決められたもので、事後法です。後で出来った法律を過去にさかのぼって適用し裁く。これは「法の不遡及」という大原則に違反しています。(P65-9行~)
しかし、天網恢恢疎にして漏らさずです。このような欺瞞溢れる復讐裁判に真っ向から異を唱えた判事がいました。唯一の国際法学者、ラダ・ビノード・パール判事です。高潔な精神の持ち主であった判事は、占領軍の圧力にも屈せず、「この裁判は文明国の法律に含まれる貴い諸原則を完全に無視した不法行為」と告発し、日本無罪論を展開、英文にして1275頁のわたる「意見書」を提出したのです。(P66-8行~)
東京裁判はその後、国際法学者の間では、完全に否定され、違法な裁判であったという見方が定着しています。そればかりか裁判に加わった多くの判事が帰国して、裁判の不当性、違法性を証言しました。今、東京裁判の判決を信じているのは、断罪を受けた日本人位です。
東京裁判結審二年後の1950年10月、ウェーク島でトルーマン大統領と会談したマッカーサーは、自ら「東京裁判は誤りだった」と述べました。東京裁判を開廷させた当のマッカーサー元帥が、後に東京裁判は、間違いだったと認めているのです。
1945(昭和20)年8月30日、
連合国軍最高司令官のマッカーサー元帥
厚木飛行場に降り立った。
そして、翌年の5月3日、アメリカ上院の軍事外交合同委員会の聴聞会に置いて、聖書に誓い、「日本は八千万人に近い膨大な人口を抱え、・・・・彼らが戦争に飛び込んでいった動機は、大部分が安全保障の必要にせまられてのことだったのです。」(P68-4行~)
ところが、日本政府は一度たりともマッカーサー証言には触れていません。それどころか、自ら汚名払拭の機会を摘み取った形跡があるのです。マッカーサーの決定的証言を無視し、国民にも知らせず、大東亜戦争は侵略戦争だと認め続ける政治家、官僚、そして政府の罪は誠に大きいと言わねばなりません。・・・・今ではマッカーサー証言は多くの書物で紹介されていますし、インターネットでも流れています。しかし、マスコミも取り上げようとしない。戦後の政治家、官僚、学者、ジャーナリストは、全員、有罪と断定せざるを得ません。(p70-11行~)

第2章日本を骨抜きにした指導者たち
1.歴史に逆行した戦後日本の国つくり
日本人の心の支えであった天皇制や家族制度は戦後、軽視・破壊され、愛国心や憂国心は悪だと日本人は教え込まれました。日本が二千年かけて培ってきた民族の魂や伝統は善ではなく、一転、悪とされたのです。日本ならではの高い徳目は抹殺され、代わりに西洋流の個人主義や物質文明が植え込まれました。たとえば、日本の良き伝統、家の思想です。子にの概念は日本では「ネーション」でもなければ、「ステート」ではありません。あくまdめお「家」が基本の国家で、・・・。(P74-7行~)

占領軍は日本人の魂の象徴である神社の焼き払いまで画策しました。日本の戦争遂行のイデオロギーを支えた精神的支柱とは何か。マッカーサーは、この答えを神道に求めました。(中略)そして、国家神道である靖国神社、明治神宮、伊勢神宮熱田神宮の焼き払いを計画したのです。その計画の最後の決断を下すにあたって、駐日ローマ法王庁代表・バチカン公使代理のブルーノ・ビッテル神父に意見を聞きます。ビッテル神父の見解はこうでした。「自然の法に基づいて考えると、いかなる国家もその国家の為に死んだ人々に対して、敬意を払う権利と義務があるといえる。それは、戦勝国か、敗戦国かをとわず、平等の審理でなければならない。無名戦士の墓を想起すれば、以上のことは自然に理解できるはずである。もし、靖国神社を焼き払ったとすれば、その行為は、アメリカの歴史にとって不名誉極まる汚点となって残るであろう。歴史はそのような行為を理解しないに違いない。はっきり言って、靖国神社を焼却することは、アメリカの占領行為と相容れない犯罪行為である。(中略)われわれは信仰の自由が認められ、神道、仏教、キリスト教、ユダヤ教など、いかなる宗教を信仰する者であろうと、国家の為に死んだ者は、すべて靖国神社にその霊を祀られるようにすることを、進言するものである。」ビッテル神父の進言をGHQは受け入れ、首の皮一枚のところで靖国神社は救われた。しかし、「神道指令」を発布して日本政府に「国家神道、神社神道に対する政府の保証、支援、保全、監督、及び弘布の廃止」を命じました。
(P75-7行~)

私は、日本の古来からの伝統の価値観を縦軸価値観と表現しています。時の流れを軸として何事も考えます。親があり、祖先がいて、自分が生まれた。そして子がいて孫がいる。この世から我が肉体が消滅しても、永遠なる時の流れの中で子々孫々に我が魂は受け継がれ生き続ける。これが縦軸思想であり日本人の良き伝統です。かたや戦後日本を巣くった西欧流の価値観は横軸価値観、横軸思想です。すなわち、現在の価値を大切にする考え方で、「今さえ良ければ」という現世利益主義、刹那主義です。横軸価値観は私利私欲、拝金物質主義、身勝手、快楽主義をもたらします。人々はその時どきの欲望に支配され、自分の欲望を満たすためには、どんなことをしても良いのだという価値観に結びついていきます。縦軸価値観では先人が築き継承してきた文化、伝統を大切にし、後世に伝えて行こうとします。戦争に負けるまでは、私たちは礼節を知る心、勤勉性、忍耐心、公徳心と言った日本人の心と魂を重んじてきました。
しかしこれらの美風は、戦後はびこった自分本位主義、無責任主義、問題先送り主義にすっかり吹き飛ばされてしまいました。
横軸価値観がもたらした害毒の最たる見本が官僚制度の腐敗です。私利私欲が最優先の横軸思想には、公などありません。公僕である官僚が、今は国益そっちのけで既得権の確保にのみ奔走し、汚職を汚職とも感じず、国民の血税を自分の欲望のために浪費しています。
アメリカにご機嫌を伺い、国益など眼中にない金融経済官僚、中国や朝鮮半島におもねり、国家主権まで踏みにじる外交官僚などはその典型です。(P78-1行~)

東大法学部教授の「犯罪」
この腐敗した官僚制度の基をつくった人物がいます。戦後の法曹界で力を持ち、東京大学法学部出身者が牛耳る官界、官僚政治に強い影響力を及ぼし続けた人物、東京大学法学部教授、横田喜三郎です。


「孫兵衛の月」fb Vol003

 『「お月さんあるのかな」の孫兵衛の声に寒天の空見上げる先に半月の朧月。爺婆には、パワー溢れる姿嬉し。』  孫兵衛を見る度に「我々爺婆に孫が出来るなんて」と思っています。今年の誕生日を迎えて満4歳となりますが、娘は晩婚で結婚してからも中々子宝に恵まれずに不妊治療を受けて居ました。...