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2022年1月9日日曜日

世界中の保守よ、連帯しよう。

facebook(2022.01.10)

『保守とは、民族を国家を思う人々。全体主義のグローバリストや共産主義者と対峙する。彼等には、国も民族もなく己が利益だけ。世界中の保守よ肩を組み彼等と戦おう。』 
2022.01.01の我が家の国旗掲揚。
新雪の青空の清々しい朝でした。

保守を調べると、フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)によると「保守(ほしゅ)または保守主義(ほしゅしゅぎ、英: conservatism)とは、従来からの伝統・習慣・制度・考え方・新機軸などを穏健に尊重し維持するため、改革や革命などの革新に反対する社会的・政治的な立場、傾向、思想などを指す用語。」とあります。私は、シンプルに「法と秩序を大切にする考え」を指します。第二次世界大戦時の民主党と共和党を指して、グローバリスト、ナショナリストの言葉を見ます。グローバリスト(国際主義)とは、「共産主義」「社会主義」「左翼リベラル思想」「ネオコン(新保守主義)」「新自由主義(ネオリベ)」…、様々な形があります。これらの共通項は、国家の価値や民族の価値、それらのナショナリズムを否定して世界を統一すること(ワンワールド)、つまり世界政府を樹立することです。左翼、リベラリストは、国家を軽視する傾向にあります。国民よりも市民(地球市民)なのです。市民は、伝統的価値とは無縁です。国家や国籍など関係ない、国境をなくし人の移動を自由にするグローバリズムと、多文化共生、国民より市民といったリベラル思想の行き着く先は同じなのです。市民的価値のために地域社会を越えて連帯し、既存の社会秩序を否定する方向に流れ、いずれ国家否定に向かいます。自由主義などと言い洗脳しています。
それに対するナショナリストは、「ナショナリズム(英: nationalism)とは、国家という統一、独立した共同体を一般的には自己の所属する民族のもと形成する政治思想や運動を指す用語。 日本語では内容や解釈により国家主義、国民主義、国粋主義、国益主義、民族主義などとも訳されている。 パトリオティズムとは区別される。」とある。いろいろな意味合いがあり、私としては、どれか一つにというと難しい。私は、シンプルに愛国者、保守をナショナリストとしています。愛国者は、家族を想い、地域を想い、民族を想い、国家を想うことです。愛するとは、想うことです。シンプルですよね。自分に置き換えてみると分かりやすいでしょう。妻を夫を想い、子ども家族を想い、地域の人々を想う。更に日本人を想う。オリンピックや世界大会で日本人の活躍に胸を躍らせます。そして、国家です。私は、いろいろな歴史上のエピソードを読んだり聞いたりする機会がありますが、その際に涙することが、多くあります。自分の琴線に触れるからです。「想うこと」とは、この様なことに思います。

私は、アメリカの山中泉氏の書いた「アメリカの終わり」を読み、衝撃を受けました。そこには、ウォール街のユダヤ金融資本家達の世界戦略と民主党の横暴が書かれていました。CFR(外交問題評議会)は、1921年に設立され、外交問題・世界情勢を分析・研究する非営利の会員制組織であり、アメリカの対外政策決定に対して著しい影響力を持つと言われています。超党派の組織であり、外交誌『フォーリン・アフェアーズ』の刊行などで知られますが、彼らの傘下にあります。今やアメリカは、株式会社アメリカ合衆国と言われ、かつての共和国ではありません。FAGAと言われる企業に乗っ取られた国家です。反れば、世界に君臨して、彼らの横暴さを撒き散らしています。
山中氏の言葉に「ラストベルト」の呼び名があります。イリノイ、インディアナ、ミシガン、オハイオ、ペンシルバニア諸州を含むアメリカの地域は「ラストベルト(さびついた工業地帯)」と呼ばれています。この呼び名は、これらの地域の多くの産業が時代遅れの工場・技術に依存していることからつけられました。1970年代、激しくなる国際競争への対応策として製造業者がこれらの地域からアメリカの他の地域やメキシコに工場を移転、かつて繁栄していた工業地帯の経済が悪化したことによりこの名称が幅広く使われるようになりました。これらの地域では、工場閉鎖にともなって失業者が増加し、多くの人々はこの地域を去りました。デトロイト、セントルイス、クリーブランドなどの都市、あるいはインディアナ州ゲリー、オハイオ州アクロンといった比較的小さな都市は、都心が衰退してしまったラストベルトの都市の例です。デトロイトは、現在も世界最大規模の製造業の中心地ですが、製造業が衰退していく中で、製造業への依存を減少することができずにいます。
1980年代までには、非製造業の導入と拡大によってラストベルトの経済は大きく改善しました。1950年代から1980年代初頭にかけて、ピッツバーグは鉄鋼産業の縮小によって衰退しましたが、近年、研究開発と金融の中心として復興しました。

戦後のアメリカは、私達の憧れでしたが、そのアメリカが、1980年代を皮切りに信じられない忘れられた地域に代わりました。華やかなアメリカは、メディアでは依然として見かけますが、そうでない人々がひっそりと昔ながらの生活で生きているのです。彼らは、敬虔なクリスチャンです。古き時代の古き価値、法と秩序を守り生きている人々です。
私は、彼らをナショナリストと呼びます。極左と言われる、民主党左派の人々とは異なります。D・トランプは、2020年の選挙で、7400万票を得ています。歴代大統領の中では、最大数の票を得ています。トランプによって、アメリカの経済は、改善されました。
しかし、民主党の以下様の選挙、「票が盗まれた」ことにより、ジョー・バイデンが、勝利しました。あれ程の不正が為されたにもかかわらず、CNN、WP、NT、NBC等の民主党系のメディアは、一切の不正を述べていません。トランプ叩きで明け暮れていました。
私がアメリカと言っている時の人々は、嘗てのFDルーズベルトやトルーマン、IPRのコミュニスト達です。現代では、グローバリストの代表であるウォール街金融資本家達であり、民主党極左です。彼らは、世界を席巻しています。ヨーロッパでも中近東でも、アジアでも。それに対抗する弱小の保守がいます。
一般的に彼らは集うことがありません。私は、世界中の保守が、それぞれの国の中でグローバリスト達と戦っていることを知っています。日本もですが、その保守の人達に世界中の保守の人達に大同一致して闘うことを提案します。

年寄りは声を挙げなければ。

 facebookの投稿(2022.01.09)

『明日の成人の日を前に自分の二十歳の時を思い出す。久々に友と会う楽しさと新調した背広の他には、何も考えずにいた能天気の若者。それから半世紀、それがこの齢で国を憂える。やはり、年寄りは声を挙げ語らなければならぬ。』


明日の成人の日の「国旗掲揚」のお願いの投稿をしましたが、自分の二十歳の頃を思い出しました。黒田原の公会堂で式典を行いその後で近くの結婚式のできるような寿司店で宴会を行いました。それぞれに羽振りが良く、既に仕事に就いている者は、リーゼントに格好の良い背広で、集いました。大学に進学した者も少しは居たのですが、彼らは、大人しく働いている者が、仕切っていました。一足早く社会に出たせいか、女性は、晴れ着で馬子にも衣裳の体で、男女共に思いのある異性にあえるのが楽しみでした。誰一人として、政治に関わりの合うようなものは居ませんでした。

今、私は、古希を過ぎて近現代史に関心を持ち、その嘘の史実に憤りを持ち、facebookに投稿をしています。自分のこの半世紀を振り返ると、言葉もありません。何という時間を政治に関心を持たずにその欺瞞に満ちた社会で生きた来たのかと思う。ここで史実の云々を言う心算はないが、古希を過ぎた自分の遣るべきことを確信する。昔から問題は、誰が遣るのかではなく、気付いた者が遣るべきと言うルールを持っていた。だから、今自分が気付いたのなら、それは神様が与えた自分の使命だと思えたのです。昔から、啓蒙書をよく読みましたが、積極的に生きる道を選んできました。ですので、現在気付いた問題、近現代史の真実を社会に声を挙げ語ろうと決意しています。私もそうでしたが、若者は、戦後に正しい歴史教育を受けていません。だから、還暦を過ぎてダイレクト出版社の歴史情報を得てから、近現代史の嘘、真実を学びました。実際に投稿をし始め、国旗掲揚を行うのも5年程前からです。だから、他の同年代の人達の気付かない事を責めることもしませんし、身近な人たちの国旗国歌に対する考え方に失望感を持つこともありません。そういう自分でさえも5年前です。気付いた時が、スタート。火が着くのは、いつか何で気付くのかは、人それぞれ、決めつけはいけないと思っています。しかし、私は楽観しています。私がそうであるように日本人のDNAが、そうさせていると感じています。日本精神と言う言葉が当てはまります。戦後焼け野原からの経済復興は、日本人の力だと思います。20代に1974年に中近東をひとり旅しましたが、アラブの人達は、私が日本人と知ると畏敬の念で見ていました。私の風貌ではなく日本人の言葉がそうさせたのだと思います。それは、第二次世界大戦で見せた日本人の戦いが、そうさせたのです。また、3.11の東日本大震災の被災に暴動も起こらずに人々が、助け合って譲り合って生きることを当たり前にしていました。私は、声を挙げ続けます。日本人なら、必ず自分の中にある日本精神に気づきます。皇紀2682年ですが、その年月で培われた精神です。戦後直ぐの連合国の為した東京裁判史観、WGIPで、如何に敗戦利得者と言う者達を使い日本精神の破壊をし続けていますが、決して失われることはありません。今が、潮目です。

前野徹著 新歴史の真実の紹介.001/3

「史学日本塾」は、私の好きなブログ名ですが、暫くは、「日本の歴史と誇りを知る史学塾」のブログ名で書いて行きます。近現代史の情報発信のプラットフォームとして、活動する予定です。ブログ名だけでは、内容が分からないからですが、最終的には、当初のブログ名とサブタイトルとして考えています。宜しくお願いいたします。

こちらのブログでは、一つの活動として、歴史書を取り上げ、書籍と著者のご紹介と私の解説を書いて行きます。まず最初は、次の書籍です。

2005年3月20日第一刷
書籍の帯には、次のように書かれています。大ベストセラー待望の文庫化 アジアから見た歴史の真説!!抹殺された輝かしき日本史を石原慎太郎氏大絶賛!!第二次世界大戦後、日本を断罪した東京裁判は、国際法学者の間では完全に否定され、違法な裁判であったという見方が定着しています。そして、連合国最高司令官マッカーサー自身も、1950年、トルーマン大統領に対し、「東京裁判は誤りだった」と認めています。日本人は、自分たち自身の歴史を、果たしてどこまで知っているのでしょうか?この本は、世界で初めてアジアから見た世界史観を示したものです。読めば祖国ニッポンへの愛情も100倍に!

著者経歴 前野徹氏
1926年生まれ。日本大学卒業後、読売新聞、東京新聞社を経て、60年東急グループ総帥の五島昇氏に東京急行電鉄の秘書課長としてスカウトされ、五島氏の懐刀として政界、財界、マスコミなどの対外折衝役として活躍する。70年東急エージェンシー常務、専務、副社長を歴任し81年より11年にわたり社長として業界13位から電通、博報堂につぐ3位に躍進させる。95年アジア経済人の大同団結を目指した経済団体、アジア経済人懇話会を設立。現在、同会長ほか高根グループ会長、(社)ニュービジネス協議会顧問などを務める。各分野の勉強会の提唱者として若手起業家から創業経営者まで多くの集まりを主宰する。著書に『他人の良さ、自分の良さの活かし方』(かんき出版)『戦後歴史の真実』(経済界)『目ざめよ、日本』(サンラ出版)『第四の国難』(扶桑社)『日本、崩壊の危機』(到知出版社)『凛の国』(青春出版社)『亡国日本への怒りの直言』(PHP研究所)がある。

私が関心を持った個所を箇条書きして、紹介したいと思います。
1.国内法では戦犯は存在しない。
靖国神社は、1869年(明治2年)明治天皇の思し召しによって、戊辰戦争で斃れた人々を祀るために創建されました。当初、東京招魂社と呼ばれていましたが、1879年(明治12年)に靖国神社と改称されて現在に至っています。後に幕末、国内の戦乱に殉じた志士たちなど広く日本の近代化、護国に殉じた人々を合祀しました。(p323-13行~)
靖国に眠るのは、大東亜戦争(これを第二次世界大戦と改称させた)の戦没者だけではありません。維新の志士を育てた吉田松陰、近代日本の礎となった坂本竜馬、中岡慎太郎、高杉晋作、橋本左内など告示に尽くして倒れた志士たちも志士たちも祀られています。加えて獄中で倒れた志士の妻、従軍看護婦、沖縄で戦没すたひめゆり部隊など5万7千余柱の女性の御祭神。この国をつくり、護った総数246万6千余柱の御祭神が眠っています。(P22-14行)
「戦犯」は言うまでもなく戦争犯罪人です。日本の統治の指導者たちにA級戦犯というレッテルを貼ったのは誰か。連合国による極東軍事裁判(通称東京裁判)です。この東京裁判は後述するように、裁判とは名がついているものの、全くでたらめの戦勝国による復讐劇でした。ですが、当時はGHQ(連合総司令部)の占領下、裁判の判決に異議を申し立てることはもちろん、批判も禁じられており、A級戦犯とされた28人の内7人は汚名を着せられたまま絞首台の露と消え、16人が終身禁固刑、あとの二人も禁固20年と7年の刑に処さられました。
東京裁判で被告人席に座らされた東条英機・元陸軍大将
(1947年12月26日、写真:近現代PL/アフロ)
1952年4月28日、サンフランシスコ講和条約が発効し、日本は独立国に復帰します。この時点で、自由に発言できるようになった私達の先輩は、不当な東京裁判の判決に激しい批判と抗議を行いました。(p19-5行~)・・・・戦犯とされた英霊たちの名誉回復が叫ばれ、戦犯釈放は国民運動として盛り上がり、4千万人の署名が集まったのです。
・・・・1953年8月3日の衆院本会議で「戦争犯罪による受刑者の赦免の決議」が全会一致を持って採択されました。その結果、戦勝国の一方的な東京裁判によって有罪判決を受けたすべての人々は、日本の国内法では犯罪者とみなさないという基準が明確に打ち出されました。そして、A級戦犯とされた人々は、1958年5月30日をもって釈放されました。(p19-13行~)
その後、恩給法、戦傷病者戦没者遺族等援護法と未帰還者留守家族援護法の三法が審議され、戦争裁判受刑者(戦犯)遺族に対する援護処置が講じられました。
援護法や恩給法では、犯罪者は対象になりません。戦犯とされた方にも選挙権が与えられています。A級戦犯はじめ東京裁判で刑死・獄死した者も法律上は「法務死」即ち公務による死亡として扱われています。(p20-8行~)
マッカーサー元帥は1951年5月3日、アメリカ上院の軍事外交委員会の聴聞会において、「日本が第二次大戦に突入した理由の大半は安全保障だった。」したがって、中国、韓国が現在、金科玉条のように指摘する”A級戦争犯罪人”は日本には存在しない。・・・・靖国神社ならびに同神社への政府関係者の公式参拝に対する近隣諸国の非難には、はっきりとこの点を主張、反論、理解を促して・・・・。(p320-3行~)

2.国際法無視の東京裁判
東京裁判は、一言で表現するなら「戦勝国による報復劇」「リンチ」です。日本に進駐したマッカーサー最高司令官はチャーター(極東国際軍事裁判条例)を発布し、1946年日本解体の最大のハイライトとして東京裁判を開廷しました。(p62-8行~)
A級戦犯とされた人々が裁かれたのは「平和に対する罪」「人道に対する罪」です。この罪状自体、インチキ極まりない。平和に対する罪、人道に対する罪は、戦後、ニュルンベルグ裁判を開く際に決められたもので、事後法です。後で出来った法律を過去にさかのぼって適用し裁く。これは「法の不遡及」という大原則に違反しています。(P65-9行~)
しかし、天網恢恢疎にして漏らさずです。このような欺瞞溢れる復讐裁判に真っ向から異を唱えた判事がいました。唯一の国際法学者、ラダ・ビノード・パール判事です。高潔な精神の持ち主であった判事は、占領軍の圧力にも屈せず、「この裁判は文明国の法律に含まれる貴い諸原則を完全に無視した不法行為」と告発し、日本無罪論を展開、英文にして1275頁のわたる「意見書」を提出したのです。(P66-8行~)
東京裁判はその後、国際法学者の間では、完全に否定され、違法な裁判であったという見方が定着しています。そればかりか裁判に加わった多くの判事が帰国して、裁判の不当性、違法性を証言しました。今、東京裁判の判決を信じているのは、断罪を受けた日本人位です。
東京裁判結審二年後の1950年10月、ウェーク島でトルーマン大統領と会談したマッカーサーは、自ら「東京裁判は誤りだった」と述べました。東京裁判を開廷させた当のマッカーサー元帥が、後に東京裁判は、間違いだったと認めているのです。
1945(昭和20)年8月30日、
連合国軍最高司令官のマッカーサー元帥
厚木飛行場に降り立った。
そして、翌年の5月3日、アメリカ上院の軍事外交合同委員会の聴聞会に置いて、聖書に誓い、「日本は八千万人に近い膨大な人口を抱え、・・・・彼らが戦争に飛び込んでいった動機は、大部分が安全保障の必要にせまられてのことだったのです。」(P68-4行~)
ところが、日本政府は一度たりともマッカーサー証言には触れていません。それどころか、自ら汚名払拭の機会を摘み取った形跡があるのです。マッカーサーの決定的証言を無視し、国民にも知らせず、大東亜戦争は侵略戦争だと認め続ける政治家、官僚、そして政府の罪は誠に大きいと言わねばなりません。・・・・今ではマッカーサー証言は多くの書物で紹介されていますし、インターネットでも流れています。しかし、マスコミも取り上げようとしない。戦後の政治家、官僚、学者、ジャーナリストは、全員、有罪と断定せざるを得ません。(p70-11行~)

第2章日本を骨抜きにした指導者たち
1.歴史に逆行した戦後日本の国つくり
日本人の心の支えであった天皇制や家族制度は戦後、軽視・破壊され、愛国心や憂国心は悪だと日本人は教え込まれました。日本が二千年かけて培ってきた民族の魂や伝統は善ではなく、一転、悪とされたのです。日本ならではの高い徳目は抹殺され、代わりに西洋流の個人主義や物質文明が植え込まれました。たとえば、日本の良き伝統、家の思想です。子にの概念は日本では「ネーション」でもなければ、「ステート」ではありません。あくまdめお「家」が基本の国家で、・・・。(P74-7行~)

占領軍は日本人の魂の象徴である神社の焼き払いまで画策しました。日本の戦争遂行のイデオロギーを支えた精神的支柱とは何か。マッカーサーは、この答えを神道に求めました。(中略)そして、国家神道である靖国神社、明治神宮、伊勢神宮熱田神宮の焼き払いを計画したのです。その計画の最後の決断を下すにあたって、駐日ローマ法王庁代表・バチカン公使代理のブルーノ・ビッテル神父に意見を聞きます。ビッテル神父の見解はこうでした。「自然の法に基づいて考えると、いかなる国家もその国家の為に死んだ人々に対して、敬意を払う権利と義務があるといえる。それは、戦勝国か、敗戦国かをとわず、平等の審理でなければならない。無名戦士の墓を想起すれば、以上のことは自然に理解できるはずである。もし、靖国神社を焼き払ったとすれば、その行為は、アメリカの歴史にとって不名誉極まる汚点となって残るであろう。歴史はそのような行為を理解しないに違いない。はっきり言って、靖国神社を焼却することは、アメリカの占領行為と相容れない犯罪行為である。(中略)われわれは信仰の自由が認められ、神道、仏教、キリスト教、ユダヤ教など、いかなる宗教を信仰する者であろうと、国家の為に死んだ者は、すべて靖国神社にその霊を祀られるようにすることを、進言するものである。」ビッテル神父の進言をGHQは受け入れ、首の皮一枚のところで靖国神社は救われた。しかし、「神道指令」を発布して日本政府に「国家神道、神社神道に対する政府の保証、支援、保全、監督、及び弘布の廃止」を命じました。
(P75-7行~)

私は、日本の古来からの伝統の価値観を縦軸価値観と表現しています。時の流れを軸として何事も考えます。親があり、祖先がいて、自分が生まれた。そして子がいて孫がいる。この世から我が肉体が消滅しても、永遠なる時の流れの中で子々孫々に我が魂は受け継がれ生き続ける。これが縦軸思想であり日本人の良き伝統です。かたや戦後日本を巣くった西欧流の価値観は横軸価値観、横軸思想です。すなわち、現在の価値を大切にする考え方で、「今さえ良ければ」という現世利益主義、刹那主義です。横軸価値観は私利私欲、拝金物質主義、身勝手、快楽主義をもたらします。人々はその時どきの欲望に支配され、自分の欲望を満たすためには、どんなことをしても良いのだという価値観に結びついていきます。縦軸価値観では先人が築き継承してきた文化、伝統を大切にし、後世に伝えて行こうとします。戦争に負けるまでは、私たちは礼節を知る心、勤勉性、忍耐心、公徳心と言った日本人の心と魂を重んじてきました。
しかしこれらの美風は、戦後はびこった自分本位主義、無責任主義、問題先送り主義にすっかり吹き飛ばされてしまいました。
横軸価値観がもたらした害毒の最たる見本が官僚制度の腐敗です。私利私欲が最優先の横軸思想には、公などありません。公僕である官僚が、今は国益そっちのけで既得権の確保にのみ奔走し、汚職を汚職とも感じず、国民の血税を自分の欲望のために浪費しています。
アメリカにご機嫌を伺い、国益など眼中にない金融経済官僚、中国や朝鮮半島におもねり、国家主権まで踏みにじる外交官僚などはその典型です。(P78-1行~)

東大法学部教授の「犯罪」
この腐敗した官僚制度の基をつくった人物がいます。戦後の法曹界で力を持ち、東京大学法学部出身者が牛耳る官界、官僚政治に強い影響力を及ぼし続けた人物、東京大学法学部教授、横田喜三郎です。


藤井厳喜著の「政治入門」(若い有権者のための)ご紹介。

私は、常々(株)ダイレクト出版社の藤井厳喜氏の情報から、世界を覗いています。その延長で(18歳から考える日本の未来)「政治入門」の著書を紹介します。簡便に書かれた政治の紹介本です。普段当たり前に知っているつもりでも、問われた際に答えられないことが、沢山あります。特にリベラルな立憲民主党や日本共産党の主張には「可笑しい?」と思いながらも、答えられません。私の嘗ての友人が、「保守のアイドルとなっている櫻井よし子」とか、藤井厳喜氏を「大した大学を出たわけではない教授」と蔑んだ言葉で述べていたことを思い出します。彼は、根っからの全共闘世代で韓国や朝鮮の主張を擁護していました。今でも彼を左翼思想にまみれた人と悲しく思います。

第1章 権利と義務 

現在は、18歳から選挙権が得られることになりましたが、「政治に参加する権利」を得たということです。明治22年に大日本帝国憲法ができ、「広く会議を興し、万機公論に決すべし」ということから、議会をつくり国民の代表を集めることになりました。しかし、選挙権は大変な高額の納税者しか選挙権はなかったわけです。その後、自由民権運動や普通選挙法の運動などがあり、成人男子25歳以上の人は選挙権が得られることになりました。これは、世界でも非常に早い方です。

遡って考えれば、平安時代は天皇と貴族の時代、藤原氏などの摂関政治になります。それが、鎌倉時代から江戸時代まで武士の時代になり、武士以外は御法度でした。それが、明治になりその貴重な選挙権を得たわけです。選挙に逝かないのは、国の政治が安定していることなのかもしれません。とても困った政党や政治家がいて、問題があれば、皆さん選挙に関心を持ち選挙に行くでしょう。

選挙権は特別な権利ですが、罪を犯した人は公民権停止と言い選挙権がありません。また、政治家の汚職や法律を犯した問題があれば、それを選んだ選挙民の責任があります。ですので、立派な政治家を選ぶのは、有権者の義務でもあります。要するに日本の政治がどうだという批判は、それを選んだ自分に返ってきます。国民は自分以上の政治家を持つことが出来ないということです。

ある意味政治が関係ないということは、日本が安全安心な国だということです。内戦のシリアや世界の紛争国では、治安や秩序は、当たり前ではありません。国家の第一の役割は、安定・秩序をつくることです。私達の聖愛kつは、国家が安定している、そのうえで成立しています。日本の治安は、世界レベルで見ると極めて良いことになります。

権利があるということは、義務もある。歴史の連続ということを考えると今の日本の現状は、何年か前の日本人の決断が作ったことになります。私達の今の決断は、10年後20年後の日本を決めることになります。その意味で、私達は、未来の世代に対して責任があります。世代を超えた責任、私達は過去の人達の責任を引き受けると同時に未来の人達に対して、責任を引き渡していることになります。

日本の名誉を守るということ。日本は第二次世界大戦という戦争をしました。戦後に日本政府が誤った判断をしたために、過去の人達の名誉を非常に傷つけてしまうことがありました。それは、私達のご先祖の名誉を汚しているだけでなく、私たち自身の名誉を汚していることになります。そして、次の世代の名誉を貶めることになります。その意味では、私達の権利を伴う責任や義務は、歴史を通して、時間軸を越えてゆくものです。そういう生命の連続、歴史の連続の中に、私達の今の権利があり、義務がある。

第2章 デモクラシー

デモクラシーは、「民主主義」は誤訳です。クラシーは、「国家の統治形態」を指す言葉で、デモクラシーは、「大衆が支配する政治体制」という意味になります。ismの社会主義(socialism)、自由主義(liberalism)、保守主義(conservatism)。全体主義ならtotalismというように最後に全部ーismが、付きます。これは、「主義」と訳していますが、特定の「思想」なんです。つまり、ある「ものの見方」「価値観」なのです。デモクラシー(democracy)と同じような-cracyの付いた言葉を並べると貴族政治は、アリストクラシー(aristocracy)、官僚制は、ビューロクラシー(bureaucracy)、独裁政治は、オートクラシー(autocracy)、卑弥呼の政治を神権政治、セオクラシー(theocracy)、金権政治をティモクラシー(theocracy)と言います。これは、国がどのように収まっているかという分類です。すべてが、~クラシー(cracy)になる。古代ギリシャのポリスに民主政治という統治形態があったわけです。代表例がアテネです。この言葉がフランス革命以降、デモクラシー(democracy)として広まってくるわけです。ですから、デモクラシーという言葉には、価値判断はありません。これを民主主義というと、イデオロギーになってしまいます。

第3章 国際政治と国内政治

第4章 立憲君主制

第5章 選挙の仕組み

第6章 マスメディア

第7章 政党

第8章 自由や人権

第9章 憲法

第10章 皇室と政治

終章 愛国心

一通り、関心を持って、読み通しました。内容は、中学生から高校生、そして社会人向けの語り口ですが、専門的な知識を持たない私には、とても楽しく読むことが出来ます。有難うございました。

毎週火曜日夜のZOOMセミナー「近現代史概要」

史学日本塾のZOOMセミナーのご紹介(2023.10~2024.03)

  史学日本塾では、毎週火曜日と木曜日にZOOMセミナー を開催しています。 一昨年(2022年)5月から、那須塩原市まちなか交流センター「くるる」でリアルの塾を開校しておりましたが、同時にZOOMでも配信いたしました。そして11月から、それらの講義をZOOMとして、2023年5...