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2022年3月13日日曜日

「孫兵衛の月」fb Vol003

 『「お月さんあるのかな」の孫兵衛の声に寒天の空見上げる先に半月の朧月。爺婆には、パワー溢れる姿嬉し。』


 孫兵衛を見る度に「我々爺婆に孫が出来るなんて」と思っています。今年の誕生日を迎えて満4歳となりますが、娘は晩婚で結婚してからも中々子宝に恵まれずに不妊治療を受けて居ました。数年が過ぎやっと恵まれ高齢出産でしたので、生まれるまでは本当に気遣いましたが、無事に出産できました。驚くことにそれも「娘の誕生日に」です。娘が嘱託で勤めたのが近くの郵便局でした。そして、孫兵衛は3カ月から保育園に預けられました。娘夫婦は新居を持ちそのローン返済の為に共稼ぎを余儀なくされていました。

 現代は少子高齢化と言いますが、共稼ぎを当たり前にします。子どもも慣れたもので嬉々としてチャイルドシートに収まり、保育園でも熟練の先生方が対応してくれました。早朝の送りと夕方の迎えが爺の仕事です。子どもたちも面白いもので迎えに行き教室を覗く私の顔を見ると、OOちゃんの爺々だと内に声が上がります。最近では、言葉も大人じみて驚きます。何処で覚えてくるのだろうかと思うけれども、当然保育園のお友達からでしょう。

 今夜はいつものように自宅に帰る時間になり、玄関の上り口で抱きかかえ庭に出ました。孫兵衛は夜空に輝く星や月を探して「今日はお月さんあるのかな」と話します。暗く曇り月が見えなかったのですが、寒い天井の夜空に朧月が見えました。薄っすらと雲に月光が広がり久々に見る朧月です。「OOちゃん、ほらあそこにあるよ」と見あげて言い促しました。不思議そうに見て納得したようです。車のチャイルドシートに収まりバイバイと手を振ります。私たち爺婆には孫兵衛は生きる糧、元気の元になります。昔ある女性から「私たちは祖父母の背中を見て育ち、その祖父母は更に御先祖の祖父母の背中を見て育ちます」現存する人たちは万葉の古代から100代以上続いて来ています。私たちはすぐそこまで御先祖の影響を受けて来たことを知ります。私に孫兵衛は私達の想いを伝える子であると思っています。

 


「日本再生を願う」fb Vol002

 『ラーメンとん太のオーナーの言葉「同じポーションでも熱心に作る情熱が美味さとなり繁盛店となる」と。戦後レジームから脱却し日本再生を願う我は情熱がそれを産むと信じる。』


 私が伝統工芸品の通販を思い立ったのは、2009年一杯で出向先の羽鳥湖高原レジーナの森を退社することになり、次の職場の当てをどうしたものかと思いを巡らせていた時です。日本ビューホテルとは既に嘱託契約でしたので、赴任地が契約終了とともに次の勤務地を決めなければなりません。本部の企画担当の者からホームページビルダーで簡単にホームページを作ることが出来ると聞き、自分の長年付き合いのある職人達の伝統工芸品を通販で販売したら売れるかも知れないと思ったことでした。

 2010年4月8日に株式会社とぴい企画を設立し4月22日に手仕事専科の通販サイトをアップしました。設立日は母の誕生日です。また、その日を2匹の飼い犬の誕生日ともしていました。気持ちの中に母や犬達への想いと起業の守護を願っていたのだと思います。最初のご注文は半年後の11月でした。その間の数カ月を失業保険で対応したのですが、初めて朝起きた時に出社する必要が無いという気軽さは素晴らしいものでした。「肩の荷を降ろす」の言葉を聞きますが、将にそれでした。その後、株式会社秀穂那須工場の通販係の募集があり嘱託で採用されました。それが「ラーメンとん太」です。オーナーは有名なラーメンフランチャイズ店の草分けで誰しもが知る方、草野秀雄氏でした。通販業務はそれ程に忙しいわけではなく、製麺や関連商品製造の業務が殆どで、時折本部から来られる常務がプロの言葉や心意気を教えてくれました。現場の叩き上げの言葉がありますが当にラーメンを作らせたら右に出る方はいないと言える方です。

 ラーメンとん太はスープをポーションにし、麺と一緒にセットで何百と言うフランチャイズ店に卸します。そのスープと麺を作るのが那須工場でした。フランチャイズ店では店舗の運営とそれをマニュアルに沿って茹でて盛り付けるだけなのですが、繁盛店もあれば直ぐに潰れてしまう店もあります。有名な元WBA世界ライトフライ級チャンピオンの具志堅用高さんもフランチャイジーでしたが、人気のラーメンとん太店でした。常務の話は「同じ条件のスープと麺でどうして繁盛店があり、潰れる店があるのか」です。秀穂のオーナーは「お客様を目の前にして茹でる温度、スープの温度、碗の温かさ、トッピングの調理具合、タイミング・・・、一生懸命にお客様に気遣いをして作るのか否かで、食べた時に美味しさが違う」と言います。更に店の入口の看板、幟、掃除、清潔感、来場時のご挨拶、お客様への気遣い、繁盛店を作るという気構えが、情熱が大切だと。

 私は、ホテルマンとして、30年を現場のレストラン、予約、フロント、営業、用度、そして、青森、福島の出向先でホテルを一から立上げ社員教育をして来ました。常務の一言、一言が、腑に落ちます。ラーメンの茹で方、作り方を深く知っていたわけではありませんが、ホテルの喫茶コーナーで夜食のラーメンを作っていましたので、手に取るように分かりました。私がホテルマンになり数年が経った頃に当時のGMから「食は三代」の言葉を聞きました。調理業界の者は理解できるでしょうが、含蓄のある言葉です。調理で大切なのは包丁捌き、盛り付け、そして、味ですが、包丁は数年も修行すれば身に付きます。そして、盛り付けはその方の美的センスが関係することから7、8年を要するでしょうが、ある程度は身に付くでしょう。しかし、味は一生かかっても難しいと言えます。三代の意味は初代が食の職業に就き、その二代目の息子が更に精進して店を繁盛させ、その三代目の孫が生まれた時からその味に馴染み覚えます。生まれた時からの三歳児の味覚です。私が津軽に赴任して現地で調理人を採用しましたが、見習いは、調理は初めての若者です。調理長は、味は津軽の味付けで問題は無かったのですが、若干盛り付けに難がありました。それでも彼は、次第にその感覚を身に着けて、及第点を取れるようになりました。問題は見習いの若者にありました。最初は洗い場や下働きから始まりますが、ある時から従業員の昼と夜の食事を担当させました。賄いといいます。彼は、塩っぱ口と言うのでしょうか、塩味が強く私達にはとても食べられた物ではありませんでした。初めは傷つけないように柔らかく話しましたが、全く直りませんでした。今も勤めているのかどうかは分かりません。GMの話では「調理の評判が悪い時は調理長を換えるのが常套です」改善されて良くなることは無いからです。特に味付けは駄目です。話が飛んでしまいましたが、ラーメンとん太の繁盛店は「情熱」が鍵でした。

 私の勧める「戦後レジームの脱却」はある意味難しい言葉です。最近では安倍総理が「戦後レジームの脱却」を述べていますが、その言葉は総理が「海外である種の誤解を生んでいる」と答弁しており「その意味するところが必ずしも明確ではないのではないか」と言われています。それは「歴史問題」にあります。我々は近現代史で戦後のGHQによる占領統治が現代法において違法であり、そのもとに勧められたと認識しています。アメリカも日本政府も公的には違法性を認めていません。吉田茂自民党はアメリカの傀儡政権です。戦後に最有力の総理候補だった重光葵を毒殺し、鳩山一郎を公職追放し、悉く旧来の保守的な人物を戦犯としています。東京裁判史観に示されるそのもとになされた政策は違法です。しかし、その真実を話すと「歴史問題」となるからです。

 歴史修正主義(Historical revisionism)とは歴史的な記述の再解釈を示すものです。これは通常歴史的な出来事や時間軸、現象について専門の学者が持つオーソドックスな(確立された・受け入れられた・伝統的な)見解に挑戦することやその見解とは反対の見解を示す証拠を紹介すること、関係者の動機や決定を再解釈したりすることを含みます。歴史的記録の修正は事実・証拠・解釈の新たな発見を反映することができ、その結果、歴史が修正される。劇的なケースでは、歴史修正主義は古い道徳的判断を覆すことを伴います。私たちには「占領時代にGHQが作った戦後のレジームを変えたい」ということです。「それで天皇の命と引き換えに押し付けられた憲法を改正する」「あるいは戦前の日本は悪だったという教育のやり方を変える」「また、外交についてもアメリカに従属するのではなくより独自の立場に立つ」そのことを意味します。

 アメリカは、占領時代に作られた体制は日本の国民の多くに受け入れられ日本のものになっていると言います。私たちは戦後統治でアメリカの傀儡の吉田茂自民党、公職追放で従来の人々に代わりアメリカにすり寄る官僚、アカデミーに左翼共産主義者を挿げ替え、メディアをプレスコード(検閲)で統制して真実の歴史を隠蔽してきました。彼らを「敗戦利得者」と言います。

 白人国が良く使う植民地経営の二重構造で日本を統治してきました。「戦後レジームの脱却」の中心に来るのは日本精神を破壊した英語の押付けの日本国憲法を廃棄し、日本人の魂、精神を持つ帝国憲法の修正復活です。これらには甚大な情熱を要するでしょう。既に戦後77年が過ぎてその体制が既成事実化しています。その体制を変えて戦前まで日本人が持っていた精神性に戻ることは並大抵ではないでしょう。脱却の方法も情熱も私の知らないことです。しかし、情熱をもって為そうと思います。それに「ラーメンとん太」の情熱を比喩として使いました。



「愛国心」 fb Vol001

 『愛国心とは、家族を、郷土を、国を想うこと。私の知る中東やアジアの国々では、国旗国歌は格好いいこと。皇紀二千六百八十二年の紀元節、世界最古の歴史持つ日本を心から祝いたいと思う。』

 

 私の中学の同級生に「国旗掲揚」の話をすると一戸建ての時は掲揚したことがあるが、現在はマンション住まいで掲揚すると「右翼と思われる」と言い、隣近所の目が気になるので掲揚はしていないと話します。私の同級の友人達に聞くと国旗掲揚するのは片手程も居らずに本当に数名です。殆どの日本人が愛国心というと「右翼」「漠然と戦前の軍国主義」をイメージします。私も最近まではそうでした。愛国心は世界共通の言葉であり誇らしい言葉の筈です。貧しい国、富める国、共産主義国家であっても「愛国心」は当たり前です。愛国とは「国を愛う(想う)」と書きます。私は妻を、家族を、郷土を、そして、国家を安寧で幸せにと想います。増して、外国から蹂躙される事など決して想いもしません。

 嘗て、23歳の時にソビエトを筆頭にヨーロッパ、中近東、インド、東アジアを一人旅してきました。約2年間の旅は今では危険で思いもしませんが。ひとつ日本人であることを否が応でも意識しました。当時流行った「一日5ドルの旅」、バックパッカーと言いリュックを背負い、旅をします。ヨーロッパではヒッチハイクとユースホステル泊り。私は、そのリュックに日の丸の旗を括りつけました。遠目でも日の丸の旗がわかり一目で日本人と分かります。彼等には、私達の風貌は他のアジア人と見た目は変わりませんので、日の丸で日本人だと分かり侮られません。そして、日本文化の素晴らしさと日本と言う国家の国力(経済力)に気付きました。日本では当たり前と思って来たことが当たり前ではなく、凄いことだとわかったことです。私達は英米仏を優れた白人国家と思っていましたが、日本人国家と何ら変わらないこと。更に経済では日本が優れていることなど、文化でも独自の文化を持ち英米と比肩できるということ。列車でトルコからドイツの国境を超える際に、日本人はパスポートを見ると荷物検査をせずにフリーパスですが、中近東、トルコからの出稼ぎの者達は子沢山の家族連れが多いのですが、荷物を全部床に直に広げさせられ、横柄に隅に追いやられます。それが、国家が弱いということの証でした。更にトルコやシリア、ヨルダンの中近東では日本人と言うと畏敬の目で見られました。誰も侮らず、これが日本人かと言う目で見られました。空手、空手と言い子ども達が寄ってきます。当時は、ブルースリーのカンフー映画が流行っていたからでしょう。日本人はカナダやアメリカ、イギリス等の白人達のバックパッカーと同じく、裕福で英語を話し嘗てロシアや清国と闘い勝利し、第二次世界大戦で英米蘭蒋の白人国家と戦い敗れはしましたが、アジアの自分達に独立を齎した国だと知っています。ヨルダンからイラクの国境では日本人と知ると入管事務所に通されてかなりの高官に歓待されました。他国から侵略されてきた国家、民族は、自国の国旗や国歌はアイデンティティを示す大切なものです。国旗、国歌は格好良いものです。

 皇紀2682年の今年、第126代の今上天皇は世界最古の歴史を物語ります。古事記の天照大神の神話は誰しもが知るでしょうが、神武天皇が天照大神から第5世代直系子孫(来孫)で初代の天皇と聞きます。その神武天皇が即位したのが皇紀1年2月11日。紀元節が明治5年に制定されました。世界には三大神話があり、ゲルマン、ギリシャ、そして日本の古事記です。何れも神話の神様があり神様から続いて初代の王様が生まれています。しかし、唯一現在も系統が続き残っているのは日本国だけです。何と素晴らしい歴史を持つ国家、民族でしょうか。これらの歴史、史実を子ども達に伝えることで、どれ程に自国に誇りを持てる子どもに育つことでしょうか。そして、国家に、世界に役立つ仕事のできる者になるでしょうか。それを思うと私は夢が膨らみます。

facebook essay 「はじめに」

 私がfacebookに出会ったのは2011年の5月です。私は2010年4月に「手仕事専科」という伝統工芸品の通販サイトを立上げ、起業していました。手仕事専科は160工房ほどあるのですが、そのひとつJago CeramicsのJay Jagoに「SNSでとても人気のものがあるよ」と紹介されてからです。早速、宣伝のために登録し、主に手仕事専科商品紹介で使いました。それから、既に11年が過ぎようとしています。更に5種類ほどのページを持ち、それぞれに工芸品歴史健康的な伝統食四季の風景和美空間のテーマを持たせています。 

 現在は、直接工芸品とは関わらない近現代史のテーマで投稿することが多くなりました。これらは本当に5、6年前からと言って良いのですが、通販のコンサル会社の株式会社ダイレクト出版社にいくつかの近現代史についての部門があり、それらの紹介等を見て戦前戦後の日本の歴史を知ったからです。私が漠然と思ってきた史実と真逆であることを知り愕然としました。と同時にそれらの嘘捏造の史実に何故誰も声を挙げなかったのかという疑念を持ちました。

 直ぐに理由が分かりました。それは、「敗戦利得者」たちによります。アメリカの違法な占領統治で私たちはそれはそれはと言える酷い統治を受け洗脳をされました。「アメリカに楯突く強い日本を再生させてはならない。」という意図のもとに。WGIP、東京裁判史観という言葉を聞いたことはあるでしょうか。私は知りませんでした。「敗戦利得者」は白人国家の植民地支配で使う手法です。直接に統治するのではなく、白人との混血や白人に与する少数民族や階層の人達により、多くの者達を統治する「民族による二重構造の統治」です。彼らはGHQに与するか、公職追放され戦犯とされるかの二者択一を迫りました。世界的に知られ尊敬されていた国士、戦後の日本を背負うだろう重光葵は、毒殺されました。保守的な鳩山一郎が戦後の政界の筆頭にありましたが、彼は拷問を受け戦犯とされて排除されました。代わって吉田茂が筆頭となり、戦後レジーム、55年体制は、GHQに与した吉田茂自民党によってスタートしました。他にも、農地解放や財閥解体、公職追放令、プレスコード(検閲)、そして、官僚、アカデミーを左翼の者達に総入れ替えをしました。戦前は、左翼や犯罪を起こした在日朝鮮人達が獄に繋がれていましたが、彼らが組合やそれぞれの団体の要職についたのです。私達の耳に聞くのは在日朝鮮人の笹川良一や児玉誉士夫などですが、戦後の日本の政財界のフィクサーとして活動しています。更に酷いことは松本丞治という憲法学者の作った憲法草案を門前払いにし、日本国憲法にフィリッピン憲法を焼き直して日本に押し付けたことです。僅か一週間で作り上げ、しかも、天皇の命と引き換えに脅して受け入れさせました。昭和21年2月13日です。戦前の史実を伝える7769冊もの書籍を焚書とし没収し廃棄しました。日本は素晴らしく悪の国家ではないという本当の史実を伝える書籍は都合が悪かったからです。1952年に勃発した朝鮮動乱の時にマッカーサーは自分の過ちを認めています。そして、日本は侵略ではなく自衛のための戦争をしたとアメリカ議会の場で述べています。

 私は戦争を「民主主義対軍国主義」「民主主義の勝利」「戦争を早期に終了させるために二発の原爆は必要だった」「アメリカは日本に民主主義をもたらした」と学びました。中学生の時です。しかし、これらは全て真逆です。「自虐史観」を植え付け国民に真実を伝える歴史を教えずに今日に至ります。未だに「敗戦利得者」により更に輪をかけて喧伝し続けています。「真正保守」という言葉がありますが、これが、私がfacebookで投稿をし続ける由縁です。現在の自民党は保守ではありません。似非保守、アメリカの「根本的な日本精神の解体」そして、対米従属を求める政党です。日本国は確りと自立した国家としてあるべきです。不戦、軍隊の不保持をうたう日本国憲法を「平和憲法」とし、国内に130箇所もの米軍基地を持つ日本は自立した国家と言えるでしょうか。私はこれらの事実を広く皆様に知ってもらい、覚醒を促したいと思っています。現在も旗日に国旗を見る家は皆無です。国家民族を誇りに思い、父祖の霊に感謝し、近い将来に全ての家で国旗掲揚が為されることを願っています。


毎週火曜日夜のZOOMセミナー「近現代史概要」

史学日本塾のZOOMセミナーのご紹介(2023.10~2024.03)

  史学日本塾では、毎週火曜日と木曜日にZOOMセミナー を開催しています。 一昨年(2022年)5月から、那須塩原市まちなか交流センター「くるる」でリアルの塾を開校しておりましたが、同時にZOOMでも配信いたしました。そして11月から、それらの講義をZOOMとして、2023年5...