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2022年3月13日日曜日

「日本再生を願う」fb Vol002

 『ラーメンとん太のオーナーの言葉「同じポーションでも熱心に作る情熱が美味さとなり繁盛店となる」と。戦後レジームから脱却し日本再生を願う我は情熱がそれを産むと信じる。』


 私が伝統工芸品の通販を思い立ったのは、2009年一杯で出向先の羽鳥湖高原レジーナの森を退社することになり、次の職場の当てをどうしたものかと思いを巡らせていた時です。日本ビューホテルとは既に嘱託契約でしたので、赴任地が契約終了とともに次の勤務地を決めなければなりません。本部の企画担当の者からホームページビルダーで簡単にホームページを作ることが出来ると聞き、自分の長年付き合いのある職人達の伝統工芸品を通販で販売したら売れるかも知れないと思ったことでした。

 2010年4月8日に株式会社とぴい企画を設立し4月22日に手仕事専科の通販サイトをアップしました。設立日は母の誕生日です。また、その日を2匹の飼い犬の誕生日ともしていました。気持ちの中に母や犬達への想いと起業の守護を願っていたのだと思います。最初のご注文は半年後の11月でした。その間の数カ月を失業保険で対応したのですが、初めて朝起きた時に出社する必要が無いという気軽さは素晴らしいものでした。「肩の荷を降ろす」の言葉を聞きますが、将にそれでした。その後、株式会社秀穂那須工場の通販係の募集があり嘱託で採用されました。それが「ラーメンとん太」です。オーナーは有名なラーメンフランチャイズ店の草分けで誰しもが知る方、草野秀雄氏でした。通販業務はそれ程に忙しいわけではなく、製麺や関連商品製造の業務が殆どで、時折本部から来られる常務がプロの言葉や心意気を教えてくれました。現場の叩き上げの言葉がありますが当にラーメンを作らせたら右に出る方はいないと言える方です。

 ラーメンとん太はスープをポーションにし、麺と一緒にセットで何百と言うフランチャイズ店に卸します。そのスープと麺を作るのが那須工場でした。フランチャイズ店では店舗の運営とそれをマニュアルに沿って茹でて盛り付けるだけなのですが、繁盛店もあれば直ぐに潰れてしまう店もあります。有名な元WBA世界ライトフライ級チャンピオンの具志堅用高さんもフランチャイジーでしたが、人気のラーメンとん太店でした。常務の話は「同じ条件のスープと麺でどうして繁盛店があり、潰れる店があるのか」です。秀穂のオーナーは「お客様を目の前にして茹でる温度、スープの温度、碗の温かさ、トッピングの調理具合、タイミング・・・、一生懸命にお客様に気遣いをして作るのか否かで、食べた時に美味しさが違う」と言います。更に店の入口の看板、幟、掃除、清潔感、来場時のご挨拶、お客様への気遣い、繁盛店を作るという気構えが、情熱が大切だと。

 私は、ホテルマンとして、30年を現場のレストラン、予約、フロント、営業、用度、そして、青森、福島の出向先でホテルを一から立上げ社員教育をして来ました。常務の一言、一言が、腑に落ちます。ラーメンの茹で方、作り方を深く知っていたわけではありませんが、ホテルの喫茶コーナーで夜食のラーメンを作っていましたので、手に取るように分かりました。私がホテルマンになり数年が経った頃に当時のGMから「食は三代」の言葉を聞きました。調理業界の者は理解できるでしょうが、含蓄のある言葉です。調理で大切なのは包丁捌き、盛り付け、そして、味ですが、包丁は数年も修行すれば身に付きます。そして、盛り付けはその方の美的センスが関係することから7、8年を要するでしょうが、ある程度は身に付くでしょう。しかし、味は一生かかっても難しいと言えます。三代の意味は初代が食の職業に就き、その二代目の息子が更に精進して店を繁盛させ、その三代目の孫が生まれた時からその味に馴染み覚えます。生まれた時からの三歳児の味覚です。私が津軽に赴任して現地で調理人を採用しましたが、見習いは、調理は初めての若者です。調理長は、味は津軽の味付けで問題は無かったのですが、若干盛り付けに難がありました。それでも彼は、次第にその感覚を身に着けて、及第点を取れるようになりました。問題は見習いの若者にありました。最初は洗い場や下働きから始まりますが、ある時から従業員の昼と夜の食事を担当させました。賄いといいます。彼は、塩っぱ口と言うのでしょうか、塩味が強く私達にはとても食べられた物ではありませんでした。初めは傷つけないように柔らかく話しましたが、全く直りませんでした。今も勤めているのかどうかは分かりません。GMの話では「調理の評判が悪い時は調理長を換えるのが常套です」改善されて良くなることは無いからです。特に味付けは駄目です。話が飛んでしまいましたが、ラーメンとん太の繁盛店は「情熱」が鍵でした。

 私の勧める「戦後レジームの脱却」はある意味難しい言葉です。最近では安倍総理が「戦後レジームの脱却」を述べていますが、その言葉は総理が「海外である種の誤解を生んでいる」と答弁しており「その意味するところが必ずしも明確ではないのではないか」と言われています。それは「歴史問題」にあります。我々は近現代史で戦後のGHQによる占領統治が現代法において違法であり、そのもとに勧められたと認識しています。アメリカも日本政府も公的には違法性を認めていません。吉田茂自民党はアメリカの傀儡政権です。戦後に最有力の総理候補だった重光葵を毒殺し、鳩山一郎を公職追放し、悉く旧来の保守的な人物を戦犯としています。東京裁判史観に示されるそのもとになされた政策は違法です。しかし、その真実を話すと「歴史問題」となるからです。

 歴史修正主義(Historical revisionism)とは歴史的な記述の再解釈を示すものです。これは通常歴史的な出来事や時間軸、現象について専門の学者が持つオーソドックスな(確立された・受け入れられた・伝統的な)見解に挑戦することやその見解とは反対の見解を示す証拠を紹介すること、関係者の動機や決定を再解釈したりすることを含みます。歴史的記録の修正は事実・証拠・解釈の新たな発見を反映することができ、その結果、歴史が修正される。劇的なケースでは、歴史修正主義は古い道徳的判断を覆すことを伴います。私たちには「占領時代にGHQが作った戦後のレジームを変えたい」ということです。「それで天皇の命と引き換えに押し付けられた憲法を改正する」「あるいは戦前の日本は悪だったという教育のやり方を変える」「また、外交についてもアメリカに従属するのではなくより独自の立場に立つ」そのことを意味します。

 アメリカは、占領時代に作られた体制は日本の国民の多くに受け入れられ日本のものになっていると言います。私たちは戦後統治でアメリカの傀儡の吉田茂自民党、公職追放で従来の人々に代わりアメリカにすり寄る官僚、アカデミーに左翼共産主義者を挿げ替え、メディアをプレスコード(検閲)で統制して真実の歴史を隠蔽してきました。彼らを「敗戦利得者」と言います。

 白人国が良く使う植民地経営の二重構造で日本を統治してきました。「戦後レジームの脱却」の中心に来るのは日本精神を破壊した英語の押付けの日本国憲法を廃棄し、日本人の魂、精神を持つ帝国憲法の修正復活です。これらには甚大な情熱を要するでしょう。既に戦後77年が過ぎてその体制が既成事実化しています。その体制を変えて戦前まで日本人が持っていた精神性に戻ることは並大抵ではないでしょう。脱却の方法も情熱も私の知らないことです。しかし、情熱をもって為そうと思います。それに「ラーメンとん太」の情熱を比喩として使いました。



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